孤独と孤独感

テレビ好きですから、秋の新ドラマなんてのを一通り眺めてみたら、孤独を扱った物語が多いように感じました。まぁ、古今東西の主要テーマではあるけれど、ひとまず孤独について考えてみることにします。ろくな結末に至らないのは目に見えていますが。
おそらく人が辛く思うのは、孤独感です。なぜなら、孤独というのは一つの状況に過ぎないから。まずそこはきっちり分けたほうがいいですね。
自宅で原稿書きをする僕の場合、孤独が長く続きます。それはこの仕事をする条件のひとつだし、誰かが近くにいると集中できないので、むしろよろこんで孤独を引き受けています。
そんな僕でも孤独感を覚えるのは、仕事として書くべき原稿がないときです。目の前に取りかかる事柄がないと時間を持て余し、芳しくない思考に支配されるようになる。「気づかぬうちに粗相をしたせいで切られたのか?」とか、頭に浮かぶのは不確定要素に端を発したネガティブな文言ばかり。
ここで注目したいのは、物理的状況としての孤独は変わっていないことです。にもかかわらず感覚は一方的に変わる。その点を客観的かつ冷静に捉えるのが大事ですね。無駄な考えで気分をへこますくらいなら、「このタイミングで将来に備えて体を鍛えておこう」というような、ポジティブと言えば照れ臭い行動のために時間を消費する。すると実質的なメリットと、少なくとも今日はこっちから孤独感を食いつぶした満足感が得られる、はず。
ただし、自分の孤独感を癒すために他の誰かを巻き込まないほうがいいでしょう。連絡して断られて落ち込めば孤独感を助長する羽目に陥る。以上は僕の孤独感の対処法です。って、人から見たら寂しいヤツなのかな。
それよりも僕の経験上で特にしんどいのは、誰かがそばにいるのに苛まれる孤独感です。状況としては孤独じゃないから余計に。たぶんこの社会でもっとも深刻なのは、元から人が居る前提の会社や学校または家庭などで他人から理解されない不安が生む孤独感でしょう。申し訳ないことですが、僕はそれを払拭する手段を知りません。そういう不安が生まれ難い場所を積極的に選んだから。
そんな逃亡犯的少数派が何かを言うとしたら、孤独はそんなに悪いものではないということでしょうか。慣れれば孤独感の扱い方もそれなりにわかってくるし。それから、個人的なつながりの数も少なくていいと思うようになりました。冷めた発言かもしれませんが、たくさんの人を知ってもそのすべてを救えないし、人がたくさんいても救ってくれる人は限られるものです。ゆえに僕は、友人の多さを語る人より、友人の少なさを嘆く人のほうが信じられます。って、やっぱり寂しいヤツかもなあ。
だから大丈夫だよと、孤独感に打ちひしがれるドラマの主人公に語りかけるのだけど、3話目くらいの彼らはあえて自分を追い込むような行動を取ります。僕の大丈夫は不安でしかないんだな。

この2羽の鳩の距離感が、互いの孤独にも孤独感にも最適な気がする。どうかなあ。

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