発言はセンス

ウィキペディアによると、当時の通産相だった池田勇人さんが「中小企業の倒産や自殺もやむを得ない」と衆議院で言い放ったのが1952年11月27日。この発言によって翌日に不信任案の提出と可決が行われ、2日後の29日には通産相を辞任することになったそうです。
明治生まれの池田勇人さんは、終戦後に政界に入り、1960年には内閣総理大臣にまでなったので、おそらく政治家として実力があった方だと思います。しかし、世間を騒がす暴言も多かったらしいんですね。
通産相の辞任に追い込まれることになった件の発言は、実際には少しニュアンスが違ったようです。けれど新聞記者は響きやすい文言を選ぶのが常なので、発言の中で倒産や自殺といった単語が飛び出せば平気でキリトリを行います。そう言ったのは事実だろうと。
然るべき立場の人の発言は時代に関係なく取り沙汰されます。ついこの間も、「死んだら香典いくら?」と口にしたどこかの町長さんが話題になりました。最近は簡単に録音できますから、もはやニュアンス違いの言い訳が通じませんね。
だから発言には注意しなければならない。それはその通りなのだけど、おそらく後天的な生育環境または言語環境によって、当人は注意しているつもりでも、他人を逆なですることを平気で言ってしまえる人が出てくるのだと思います。特定の環境で培った感覚だけで物を言うわけですから、ある種の世間知らずなのでしょう。
発言はセンスです。どんな言葉を選び、どんな表情と抑揚で伝えるか。つまるところ新聞記者と同じく、人に対する響き方に気を配れるか。それ以前に言葉は響くものだと理解できているか。そこがセンスの良し悪しの分岐点になります。
暴言の類はないまでも、センスに齟齬があるのか、わりとそこら中で会話泥棒と出くわします。気を利かせた誰かがパス回しできるような話題を座に放っても、すべて自分のネタに紐づけて、その場でリフティングを始めてしまう、というような。それでも会話が進んでいると錯覚するんでしょうね。ご本人はたいがい楽し気ですから。いやまぁ、センスも多様だなという話です。

ホームの先端には、どんな駅でも物語が宿るような気がする。そんなことないか。

 

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