我ながら、よく飽きもせず毎回同じランニングコースを走るもんだと呆れますが、同じだからこそ気づける変化もあるのです。住宅街の一角で工事が始まって、しばらくして更地になって、今度は何が建つのだろうとか、文字にすると地味ですけれど、そういう一連の経緯を眺めるのは案外楽しいんですね。しかし、時に「おや?」という違和感を覚えることがあります。先日がまさにそうでした。
自宅から1キロ当たりの地点にあった材木屋さん。通りに面して細長い材木を何本も立てかけていた、かなり古くからやってらしたと思しき風情のある佇まいでした。突然工事が始まったのが今年の6月半ば。少し目を離したすきに建物の壁がなくなり、木の柱だけが並ぶ、あえて言えば無残な姿になっていました。
その後、いくつもの重機が入って瞬く間に更地となった場所に赤い鉄骨が組まれたのは10月半ば。そのあたりの日付を覚えているのは、変化があるたび写真を撮っていたからです。
躯体を組む鉄骨が現れたとき、僕はこんな期待を寄せました。それまでの建物を一新した材木屋さんができるのだと。だから、今度はどんなふうに通り沿いに材木を並べるのか、ちょっと楽しみにしていたのです。ところが……。
今月の初め以来、久々に走って件の場所に到達したら、これまた突如といった形でコンビニができていました。あまりに想定外の景色だったので、しばし自分の目を疑ったくらいです。材木屋さんがコンビニ? 周囲徒歩5分圏内にはいくつもあるのに、まさかコンビニ?
いやいや、コンビニが悪いわけじゃありません。あるいは現実的に、材木屋さんよりコンビニのほうが地域に貢献できるのかもしれない。だとしても、というのはどこまでも個人的な感想です。
好きだったんです、材木屋さん。比較的近所に昔ながらの商売をされているところがあるのは、僕がこの町を好きになれる理由でもありました。元旦には立てかけた材木にしめ縄飾りを施してくれて、そういう粋な計らいもうれしかった。
そういうものが一つずつ消え、それを何かが埋めていく。より便利な形で。そんなどこの町でも起きているサイクルにいちいち動揺したところで、間もなくコンビニは開店します。おそらく、かつてそこに材木屋さんがあったことなどまるで感じさせないままに。そう思うと寂しい気分が募るんですよね。僕にしたって木の香りをほぼ忘れかけているから余計に切なくなります。

当然ですが、やっぱり材木の香りはしないんですよね。
