ジョージ

54年前に解散し、なおかつ4人中2人が鬼籍に入ったにもかかわらず、先頃発表された“最後の新曲”が全英チャートで1位になるなんて、やはりザ・ビートルズは世紀をまたぐ圧倒的な存在なのだと改めて思わされます。
その新曲もジョン・レノンが原型をつくり、最新技術のサポートを受けてポール・マッカトニーが仕上げたそうです。そしてミュージックビデオは、メンバーが若かった頃の映像を巧みに取り入れノスタルジーを感じさせながら、存命中のポールとリンゴ・スターがすでにこの世にいない2人の遺志を受け継ぐような展開を見せます。それもあって、やっぱりジョージ・ハリスンは影が薄かったなあと、これまた定番的な印象が拭えなくなるのです。
「いやいや、ジョージにだって名曲は多いぞ」
このご意見にはもちろん同意します。ザ・ビートルズ時代にジョージがつくった『Here Comes the Sun』は僕が必死で練習した曲なので、個人的なザ・ビートルズのベスト10にはぜひ入れたいと思っています。
ただ、バンド時代に楽曲制作数が少なかった。誰の指示かわかりませんが、どうやら彼に対しては、アルバム収録に1曲から2曲という制限がかけられていたらしいんですね。それから、ギタリストとして思うような演奏もさせてもらえなかったと聞きます。そのあたりが積年の不満となり、実は誰よりもバンドから抜けたがっていたのがジョージらしいと。
彼のエピソードで有名なのは、エリック・クラプトンを始めとする腕利きのミュージシャンをレコーディングに招いたことです。閉鎖傾向に偏るバンドに新風を吹かせたかったのでしょう。
しかしとにかく、ザ・ビートルズはジョンとポールのバンドだった。それは紛うことなき歴史的事実です。じゃ、ジョージじゃなくてもザ・ビートルズは成立したのか? これは誰にもわかりませんよね。僕らはジョージ・ハリスンがいたザ・ビートルズしか知らないわけですから。
ただ、2つの巨大な星に付かず離れず存在した衛星のような彼がいたおかげで、世界中の多くの人はザ・ビートルズに親しみを持てたのではないかと。あるいは、ジョージの役割なら自分でも務められたかもしれないという、淡く身勝手な期待を寄せさせてくれた人でもあったのではないかと、僕はそんなふうに思っています。
今日は、2001年に亡くなったジョージ・ハリスンの命日。58歳はさすがに若かったです。

桜の木って、紅葉というより枯れ感が強いですね。春と違ってカサカサ散っていくし。

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