どういう仕組みなのかよくわからないけれど、SNSあたりでは昔の写真が突然上がったりしますよね。「こんなことがあったでしょ」と、飲みの席でとなりに座った長い付き合いの知人が語りかけてくるみたいに。ついこの間は、10年以上も前の集合写真が出ていました。僕は左端で、当然のことながら確実に若い顔で写っていた。
いいんです。自分でも「こんなことがあったなあ」と懐かしなったりもする。ただ、「上げますよ」と事前に連絡してくれたらいいのにと思うわけです。今さら晒したくない表情だったり、あるいは二度と見たくない光景だったりする場合があるかもしれないから。けれどおそらくこのご時世、「さあ撮りますよ」と言われてレンズの前に立った時点で、ネット世界に投じられる流れを了承したことになるんでしょうね。
そしてまた別の場所では、僕がしたことが僕の知らないうちに報告され、まるで予期しない場面で「そんなことしてたんですね」と言われたりします。それは、交差点で出会い頭にマンモスとぶつかりそうになるくらいの驚きを伴います。
いいんです、それも。その記事的なものを確認していなくても、何が伝えられたか察しはつくし、話しかけてくれた方の表情を見れば悪い印象を与えた内容じゃないこともわかるから。けれどたぶんこのご時世、「さあやろう」と誰かと行動を起こしてしまえば……。
「気にすることないじゃん」といった程度の話なのでしょう。しかし、気にする範囲のジャッジは誰がどんな形で行っているのか。それこそがとても気になるわけです。
いやまあ、自ら積極的に利用せずともこれだけSNSが広まってしまえば、何を言っても多勢に無勢ですね。でも、誰かが上げてもいいと判断した自分を特定する報が、自分の知らないところで紹介されるというのは、慣れの問題以前に居心地の悪さを覚えます。こういうことを言うと、もう二度と集合写真に入れてもらえなくなったりするのかな。それはそれで仕方ないけれど。

もう終わりかなと庭先の梅の花を撮っていたら、その家の奥様が現れて「先週の雨で散っちゃったのよ」と教えてくれました。「満開を撮っておけ」というクレームだったかもしれない。
