3月10日は、1930年(昭和五年)に26歳で亡くなった金子みすゞさんの命日です。僕がこの童謡詩人を知ったのは、13年前の3.11から少し経ってテレビで繰り返し流れたCMでした。「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」の一節は、覚えている方も多いと思います。
何だかとても染みたのです。当時の僕は震源地から遠く離れたところにいて、だから被災の具体的な深刻さなどわからなかったのに、たぶんそれなりに心が痛んでいたのかもしれません。普段はそこまでテレビCMに感化されることがないから。
そうして僕の町あたりでも日常が戻り始め、件のCMをあまり見かけなくなった頃、本屋で金子みすゞさんの作品集を買い込みました。童謡のための詩を書く作家なので、言葉に音が乗ることを想定していたにせよ、全体的に青みがかった霞のような物悲しさを覚えました。優しい言葉を選んでいるのに、常に冷静で客観的な視点が保たれているからか。または読み手の僕自身に、自然災害による心理的バイアスがかかっていたせいかもしれません。
それからまたしばらくして――おそらく6月だったと思いますが、再開した仕事の中で、みすゞさんの生まれ故郷に行く計画を立てました。作品に感じた青みがかった霞の意味と理由を知りたいという個人的な思惑を伏せて。
かつて捕鯨で栄えた、山口県長門市の仙崎という港町。漁の往時は、捕獲した鯨の過去帳を寺に納める慣わしがあったそうです。そんな供養を絶やさなかった漁師村の人々の、命に向けた畏怖と感謝の念は、間違いなくみすゞさんの感性に大きな影響を与えたはずです。
そして何よりも、みすゞさんが暮らした日々から90年以上が過ぎていても、仙崎には言葉で表しようのない心地よい気が流れていました。初めての場所で、ここまで穏やかな心持ちになった経験はなかった。だからこんなことを思ったのです。
みすゞさんの詩は救済の調べなのか? それはさすがに短絡的な考えだったけれど、3.11をきっかけにしたこともあり、金子みすゞという人に救われた思いを感じたのは確かです。
あえて詳細は省きますが、自ら命を絶つ残酷な人生ではなく、もっと健やかに生きて、より多くの詩を残してくれていたらと。今日はそういう無念さを忍ぶ日でもあります。

いつかの夕日。または、いつもの夕日。
