ここのところ、近所でガスや水道の工事が続いています。連続はただの偶然か、もしくは年度末のせいかはさておき、ベランダあたりから眺めていると、やっぱり労働ってそうことだよなと感じ入るのです。疲労を伴う肉体の駆使によって代償を得る行為は、もっともシンプルかつ根源的な働く姿だろうと。それはとてもカッコいいと思うのだけど、どうですか?
高校の同級生の実家は煎餅屋でした。販売ではなく製造が主なので、彼のお父さんは1日中、白い生地を焼き続けていたのです。火に向かうので、夏は言うに及ばず、真冬でさえ大汗をかきながら。そんな、かつての下町でよく見られた家内制手工業の見本みたいな家に遊びに行くと、僕らもお父さんの仕事ぶりを飽きずに眺めていました。ウソです。ちょっとだけ見て、焼き立ての煎餅をもらって、すぐにもんじゃ屋に走ったんだ。
それに付き合っていたそこんちの同級生は、自分も職人になる誓いを立てました。煎餅屋を継がなかったのは、お父さんに職業の先行き不安を告げられたからだったか。いずれにせよ、与えられた仕事を黙々とこなし続ける父の姿に感化されたのは間違いなく、「俺も父ちゃんみたいになりたいんだ」と言ったときの、彼の真剣な表情は今も忘れられません。その姿もカッコいいなあと思ったんです。そうして彼は、鞄づくりの職人になりました。
そんなふうに家族が汗水垂らして働く姿を見られるのは、どちらかと言えば珍しいケースになるのでしょう。けれど授業参観があるように、労働参観の機会がもっと増えてもいいのではないでしょうか。もちろん肉体労働だけが仕事ではなく、頭脳や精神を駆使する仕事であっても、近しい人が日々いかに働いているかを知るのは、百の言葉より芯に響くと思うのだけど、どうだろう。
そう書いてみて、では自分の仕事は見るに堪えるかを考えてみると、何かパッとしないんですよね。原稿書きなんて机の前から動かないし、気持ちを安定させるため空調を整えるから汗もかかない。ならばと出来上がった原稿をその場で読ませるのも、ねぇ。この仕事の見栄えに意識を向けてみると、何かを伝えたい欲求は根源的なものであれ、働く姿がカッコいいとは言えません。やっているほうは好きだからいいんだけれど。

このフォーメーションは2時間足らずで終了。手慣れ具合もカッコよかった。
