言われたところで

言ったところでどうにもならないのはわかるんです。たとえば、2カ月前の音楽会的催しの出演者のひとり。本番の1週間くらい前、料理の最中に包丁で指を切ったらしいんですね。それを当人から聞かされたのはイベント当日の朝。わりと大きめの絆創膏を巻いていたので気にはなったのだけど、まさかそんなことになっていたとは。まぁ、聞かされなかったから当然ですが。
豊富な演奏経験を持つ人なので、注意を怠ったとは思いません。それでも致し方なく怪我を負い、傷の痛みを自覚した瞬間には、ステージに穴を開ける可能性まで考えたはずです。
さらに推測を重ねると、切ってしまった指を別の手で握りながら冷静にジャッジしたと思うんですね。楽器を弾けるか弾けないか。そして当人は、いけると判断した。だから家族以外には黙った。状況を知った周囲を動揺させたくなかったのかもしれません。とにかく弾けると思ったら弾き切ると決め、実際に見事な演奏を披露してくれて、当人すれば小規模に属するイベントであっても、そこで見せた覚悟と責任感に僕は大きな感銘を受けたのでした。
それと同じなのだろうかと思った母親の一件がありました。
以前もクルマにぶつけられたコンビニの駐車場あたりで、またしてもクルマが飛び出して来たらしいんですね。本人によれば、今度は何とかクルマをかわしたものの、やはり足腰は頼りなく、その場で転倒。肘と膝を路面にぶつけた痛みはあったものの、関節を捻った自覚はなし。ただ、一度転んだら起き上がるのは大変と一人嘆いた刹那、背後から男性の声で「腕につかまって」という声が聞こえたそうです。
「ひゅいって持ち上げてくれたのよ。そんな親切があるのかと思ってお礼を言おうとしたら、その人、すぅっと駅のほうに歩いて行っちゃった。こういうのを功徳っていうのかしらねぇ」
やがて功徳を授かるのは、その親切な男性に他なりません。この場で母親に代わってお礼を申し上げます。
それよりも、あの駐車場には近づかないでくれって言ったのになあと。ましてや事実を打ち明けたのは転倒から2週間後で、その間の電話でも伏せていたのはなぜだろうと……。
耳が遠いので問い質しませんでした。あるいは先述の演奏者と同じように、本人判断によって心配をかけたくないと思ったのかもしれません。ただ、そこは老人なので完全に大丈夫と言えるまで時間がかかったのでしょう。
結局のところ、知らぬが仏という諺があるように、言われたところで僕にはどうすることもできません。なので今回の母親の件は、まだまだ一人で頑張る覚悟と責任感の表れと見ることにしました。それで本当にいいのか、ジャッジしきれない部分が残りますが。

日曜日のお花見の、河川敷の桜。そちらはどうですか?

 

 

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