自分を語れる人に

こんな話をされると、僕は心を閉じたくなります。知り合いが一日店長を務めた飲み屋が早仕舞いする頃、僕を除けばただ一人の、理知的な雰囲気の男性客が始めた語りでした。
「電車の中で子供が窓の外を眺めたくて、膝を立てて椅子に乗っかるときがあるじゃないですか」
今時そんな場面がまだあるんだと思いました。語りの冒頭なので、僕の心はまだ開いています。
「けれど靴を履いたままだったんですよ。となりに座っていた母親が何も言わないので、僕が注意したんです。けれど母親にではなく、人に迷惑をかけそうなその子供に、一人の人間として……」
ここまで聞く前に心を完全封鎖しておけばよかったと後悔しました。なぜなら僕は、その話を耳にしながらこんなことを思ってしまったからです。それがいかにも反社っぽい人でも、あなたは一人の人間として積極的に注意するんですかと。ああ、嫌な性格。
「これ、どう思います? 僕の行いは間違っていますか?」
これは確信犯だと思いました。彼は1ミリたりとも自分の正当性を疑っていない風だったから、待っている解答は肯定か追従しかないはず。なおかつ、問いかけたのが一日店長を務めた二人の子供を持つ母親というのも、嫌なヤツの僕はちょっと卑怯だと思ってしまったのです。そもそもそんな質問、酔客相手に商売する人間が本音を言えるはずもないだろうに。
お察しの通り、語り始めでそっち側に転ぶ気配は感じたものの、心を閉ざし切れないまま最後まで聞いてしまった僕は、一人静かに怒っていました。その男性に向けてというより、自分のことを上手に喋れる人はなぜこうも少ないのかという、ある意味では社会全般に対する絶望に打ち震えるようにして。
よほど求められない限り、僕は自分のことを話さないよう心掛けています。それは、この世界でいちばんつまらないのが自分の話だと思っているからです。また同時に、仮に自分の話が誰かの役に立つとしても、役立ってくれそうな人を正しく見極めた上で、十分な説得力をもって伝える自信がないからです。
だから憧れるのです。心を全開にして聞き入りたくなるほど自分を語れる人に。憧れたままでいるのは、最良のお手本に出会えていないからでしょうか。それとも僕が、酒の席で自分の正当性しか語れないオッサンを快く思えない性根が曲がったヤツだからでしょうか。

 

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