運動の後にやってくる肉体の疲労は避け難い。なので、「いやいや、そんなに疲れるわけがない」と、変に若ぶって認めないふりをするのはずいぶん前にやめました。ただ、はるか以前との回復力の違いについては言及しないでいます。違うのは当然だし、何かにつけ過去とくらべれば残念な気持ちが勝ってしまい、現在を生きるのが難しくなる。昔は昔。今は今。そこは案外きっちり区別できるようになりました。
しかし、区別が大事と心掛けていながら、そうする意欲を奪われるケースがあります。たとえば、先日の野球。2試合連続でヒットを打てず。その悔やみを抱えたまま翌日を迎えて肉体疲労に襲われると、この疲れには負の意味しかないと落胆してしまうわけです。どんな結果であれ、その後にやってくる疲労の度合いは大差ないはずなのに。
そんなメンタルのねちっこいネガティブさが、僕の運動能力にフタをしているのかもしれません。ならばフタを取っ払えばいいのにと思っても、どうやら僕が発揮できるパフォーマンスのほとんどにはフタが備わっているようです。そうとらえてしまうのが、要するに僕のセンスの限界。
自分のセンスの限界には、うんと昔から気づいていました。興味のあることであれば練習も好きになれるのだけど、練習方法を常に間違ってしまうのか、こと運動方面に関してはヒーロー的活躍を果たせたことがありません。そこもおそらく区別なのでしょう。誰もが諸手を挙げて賛辞を贈る英雄になれないなら、英雄の登場に必要な脇役的功労者の役に回ればいい。野球はもちろんこの社会も、そういう名もなき立場の頑張りがあってこそ成り立っていますから。
でも、自分のセンスを悟っていても、ここぞという場面でヒットが打てる人になりたいんですよね。そんな人がこの世にいないなら憧れたりもしないけれど、これがまたわりとあちこりにいるから困ります。
やれやれ、どうあってもネガティブな思いが拭い切れない。それを吹っ飛ばすのは1本のヒットしかありません。ああ、打ちたい。我が人生が、区別の下手な自分のセンスの限界と戦い続けるいばらの道であっても。

野球より参加人数が多い分、サッカーのほうがセンスの競争が激しいのかも。
