昔はどうしてたんだろう?

「昔はどうしてたんだろう?」と疑問に思うのは、昔を知っている人に限られるんじゃないでしょうか。今しか知らない若い世代は、比較材料としての昔を経験していないから。
ややこしい言い回しですね。ここで取り上げる“今”の代表格は、スマホ。この21世紀前半で大普及している文明の利器で僕がもっとも重宝しているのは、ナビゲーション機能を備えた地図アプリが使えるところです。それ以前にドライブの助けとなっていたのはカーナビですが、僕はそれ、自分のクルマに装着したことがありません。古臭いデザインのクルマには合わないという趣味の問題以上に、およその経路は事前に下調べしておくものであり、なおかつ運転前にいちいち目的地を入力する行動自体がカッコ悪いと決めつけていたからです。
そんな見栄も外聞も、GPSの精度向上に伴い、リアルタイムに近い道路状況を表示してくる現在の地図アプリは軽々と吹き飛ばしてしまいました。未知の遠方へ行く際に留まらず、道をよく知っている都内でも、最短ルートの検索に手放せなくなるなんて、オレも変わったなあと照れ臭くなります。
そこでふと「昔はどうしてたんだろう?」と考えるわけです。そりゃもう印刷物の地図に頼るしかありませんでした。同乗者がいてくれるなら、膝の上に地図を広げてもらってナビゲーターをお願いしたわけです。単独で知らない場所に向かうときは、前夜に地図を読みこんで、場合によっては自分流のコマ地図をつくったりもしました。交差点名に右折や左折と記すような感じで。
それは不可欠な準備でした。料理をするなら鍋や釜が必要なのと同じように。とは言え、道を間違えることも少なくありませんでした。ナビゲーターが地図を読むのが下手だったり、あるいは手書きのコマ地図が間違っていたり。でも、そういうことが起こり得る前提でいると、景色を見て運転する意識が高まるので、道を覚えられるようになります。
しかし、それを今時の若い世代に自慢しても、「ああ、そうですか」って呆れられるのもわかっています。地図アプリのアナウンスに従ったほうが運転に集中できるんじゃないかと問われたら、返す言葉もないし。
それでも僕は今でも、未知の場所に行くときは、少なくとも前夜までには地図アプリで経路と時間を確認しておきます。運転者として、何も知らずに発進するのはカッコ悪いと思うから。自動運転が叶う頃には、そういう過去からの縛りもこの世から消え去るんだろうけど。

まだ未体験の都心から羽田に降りるルート。渋谷はどう見えるんだろう。

 

 

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