家に持ち込んじゃいけないもの。その筆頭は、まだいまのところウィルスの類になるのでしょう。その厄介者を引き入れないために、仕事を自宅に招いた。けれどかつては仕事も家に持ち込まないようにしていた方が圧倒的に多かっただろうと思います。
会えなかった人との交流が戻り始めたところで話を聞くと、僕の周囲ではテレワーク継続中の人ばかりです。さすがに慣れましたかとたずねると、難しい面は解消し切れていないと答える人もまた少なくありません。
お子さんがいる家庭は特に大変らしいですね。学校から帰ってくると、まず静寂が破られてしまい、安定的な業務の遂行が叶わなくなる。でも、子供側にしてもたぶん迷惑な話なんでしょうね。親がいるのに話しかけてうるさがられるなんて、そんなことなら家に仕事を持ち込まないでほしいと文句の一つの言いたくなるはず。テレワークが始まって1年以上が過ぎても家庭内の齟齬が消えずにいるということは、家族の誰にとってもフラットな安寧を保たれるべき自宅と仕事は絶縁したほうがいいのかもしれない。
一方で僕はと言えば、長いこと自宅仕事を続けてきたので、世間が異なるモードに入ってもほぼ支障がありませんでした。が、前にも書きましたが、ここに来てオンライン取材が増えています。これは、人に会えるようになり取材が可能になってきただけでなく、テレワークの一般化に伴って「互いに距離が離れていても会話はできるじゃん!」という発見が功を奏した結果だと思います。時間や経費のコストも節約できるしね。
確かに便利です。僕にすれば取材と執筆が一つの場所で完結するわけですから。しかし、最近気づいたのは明らかなストレスの発生でした。人と話すときにはそれなりの緊張感を発動するのですが、それが自分の部屋に漂ってしまうことに違和感を覚えたわけです。「何でそれがウチに?」という戸惑いと言っていいかもしれません。カメラで部屋の一部も相手に晒しちゃうのも、自宅なのに見映えの悪くない服に着替える非日常的行為も、その違和感や戸惑いを増長させていきます。
まぁ、仕方のない話です。きっとオンライン取材という発明は今後も重宝されるでしょうから。他方では再発見もあったと思うんですね。家に持ち込んでいいものとそうでないもの。できるけれどやらないほうがいいこと。そのあたり、少なくともメンタルの部分で正しく分別したほうがいいように感じています。どうすればいいかは、まだ見つけられていませんが。

JR四ツ谷駅。たまに訪れてもこのあたりのホームは変わってないみたいで落ち着きます。
