これから誰かを慮るとき

自然災害で住む場所を失った人々の痛みや、病気を患った人々の苦しみについて、それを遠くで見守るしかない者が慮るときには想像力が大事。そのようなことを何度か書きました。しかし、同じか、または似たような体験をしないと、想像の範囲はニュース映像のフレームに留まってしまうのかもしれません。
昨日報じられたので、耳にした方は少なくないでしょう。厚生労働省の人口動態統計から判明した国内の新型コロナウイルス感染症による死者数が、累計で10万人を超えたそうです。驚いたのは、2023年に亡くなった人の多さでした。5類に移行したことでコロナ禍が終了したと安心したのに、現時点では概算ながら3万8080人。2020年から2022年の3年間の確定死亡者数数が6万7870人。もっとも多かった2022年だけで4万7638人なので、昨年の数字に鑑みると、この感染症の恐ろしさが改めて浮き彫りになります。
こうした統計を目にしたときこそ、想像力をフル回転しなければならないでしょう。言うまでもなく合計10万5950人の方々には、一人ひとり大事な命が宿っていました。そして、大事な命が失われたことで悲痛に暮れた家族や仲間や恋人がいたはずです。その事実までは何とか必死で思いを巡らせなければならない。でも、悲しみの総数が大きすぎるから、考えるほどに自分の首を絞めるような辛さを感じるかもしれません。
前にも書きましたが、僕の母親は、感染症ではない理由でコロナ禍に入院しました。あの頃は見舞いが禁じられたので、入院した日は、もしやこれが最後に見る姿かもしれないと思いました。そのときに、幾ばくかであれ、感染症で入院した方のご家族の気持ちを察することができたのです。お葬式にも立ち会えなかったそうですもんね。
このタイミングで感染症の話題に敏感になったのも、ほぼ1カ月前に自分が感染したからに他なりません。おそらく、症状としてはもっとも軽微の部類に入ると思うので、この病気の怖さを語る資格はないでしょう。それでも滅多に出ない熱に惑わされたり、1週間ほどの外出自粛をした経験は、適切な表現ではないだろうけれど、これから誰かを慮るときの財産になるんじゃないかと、そんなふうに思っています。

桜の木陰。花だけが魅力じゃないと思うけどな。

 

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