東京・日比谷の帝国ホテルには、僕好みのこんなエピソードがあります。
明治となり20年近く経った頃、外国人を招く場所として西洋式ホテルの建設が求められ、1890年(明治二十三年)11月に初代の帝国ホテルが竣工しました。それから約30年後、新たな本館計画が始まります。
設計を依頼されたのは、アメリカ出身のフランク・ロイド・ライト。今となっては近代建築の巨匠に挙げられる人ですが、その時点では女性問題などで信用が失墜し、国内の仕事が激減していたらしいんですね。
そんなライトさんに声をかけたのは、帝国ホテル七代目支配人の林 愛作。林さんの前職は、ニューヨークを拠点にした東洋美術商でした。その当時、建築家の傍ら浮世絵のバイヤーもしていたロイドさんと出会ったのが、二人をつないだ縁だったそうです。
話は一気に飛びますが、京都・宇治の平等院鳳凰堂を模したとされる二代目の帝国ホテル本館は1967年に閉館。わずか44年で解体されることになります。時代にそぐわなくなった客室の少なさと、老朽化と地盤沈下が理由でした。ただ、日本の近代史に欠かせない建築物だったことから、愛知・犬山の博物館明治村に玄関部分が移築再建されました。また、栃木・日光の東武ワールドスクウェアでは25分の1で全景が再現されているそうです。ついこの間、鬼怒川まで行ったから寄ればよかったな。博物館明治村も俄然興味が湧いてきました。
さて、ここからが本題。二代目の帝国ホテル本館は、後にライト館と呼ばれ尊敬の対象となったものの、こだわり抜いたロイドさんの設計によって完成は2年ほど遅れ、建設費も当初の倍近くに膨張。なおかつ、その間に初代本館が失火で全焼。稀代の建築家を擁護していた林さんは、工期遅延も含めた責任を取って支配人を辞任。ロイドさんもまた、その3か月後に日本を離れました。
しかしライト館は、ロイドさんの弟子により1923年(大正12年)に完成。9月1日に落成記念披露宴が開催される運びとなりました。その宴の準備に大忙しだった午前11時58分、死者・行方不明者が推定10万5千人に達する関東大震災が起こります。おそらくライト館も激しい揺れに見舞われたはず。ところが、周囲の建物が軒並み倒壊した中で、新しい帝国ホテル本館はほぼ無傷で建ち残っていました。
その報せを2週間後に手紙で受け取ったロイド氏は、狂気乱舞したらしいんですね。なぜなら、日比谷周辺の軟弱な地盤に対し、基礎の杭をあえて短くして振動を吸収する独自の基礎工法が功を奏したから。この結果は、ロイド氏の信用回復にも貢献したそうな。
どんなときにも希望はある。そんなことを感じさせてくれた逸話です。

関東大震災から101年の日本は、こんな空ばかり撮らされる羽目に陥っておりますね。
