愛着の行き場

終わりを告げるメールでした。いや、仕事関連です。修正依頼に応じた原稿を提出した後、
今回を持ってコンテンツが終了する旨を綴ったメールが届きました。長文だったのは、事情を正しく伝えたからなのでしょう。10年以上続いたものの、クライアントの判断により他のコンテンツを含む全サイトの打ち切りが決定。「内容が悪いわけではなく(中身は絶賛されてきた)」という一文に、メールを送った担当者のささやかな意地が滲んでいて、なんだか切なくなりました。
そのコンテンツを企画したのが、大元のクライアントなのかグループ会社かはわかりませんが、おそらく複数の代理店等を経由し、僕が依頼を受けたウェブ制作会社に企画実行案件がたどり着き、件の担当者が人材選定を含む編集責任を負ったと推測します。
ふと思ったのは、そんな流れの中で、今回の件に関してどれだけの人が心を痛めたんだろう、ということでした。継続していた一つの仕事がなくなれば、売り上げ的には誰もが手痛いに違いありません。けれど金銭面だけなら、他の手段でも穴埋めは可能です。
問題は、仕事がなくなったあとの愛着の行き場ではないでしょうか。もっとおもしろくするためにはどうするべきか。その点は、企画実行の流れの下流にいる現場レベルの人間たちほど、試行錯誤の度合いが高まると思うんですね。そしてまた、あれこれ悩みながら長期に渡って上流へと仕事を送り届けた彼らほど、執着と背中合わせの愛着が深まっていく。それは、さらに下流の浅瀬でバタバタ泳ぐ位置にいる今の僕にはよくわかります。
いや、末端の現場レベルだけが心を痛めていると主張するつもりはありません。少なくとも僕は彼らの心痛が理解できるというだけの話です。仕事においては、上流が水を止めただけのよくある類なのだけど、行き場を失った仕事への愛着はなかなか弔われないなあと、そんなことも思いました。
「そのような経緯なので、トナオさんの記事がこのコンテンツの大トリになりました」
本件を取り上げたのは、終わりを告げるメールに記されていたこの一文のせいです。偶然だろうけれど、僕で終わるなんて複雑な気分です。下流にいると、いろんなものが流れ着くみたい。

まだ夏の雲だな。

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