「いくつになっても」という言葉で検索してみると、まったく同じ名前の歌が2曲ほど紹介されます。それから著書が2冊。『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』と、『いくつになっても恥をかける人になる』。こちらも初見ですが、タイトルだけで今の僕の実感を代弁してくれたようで、うれしくなりました。いつかチャンスがあれば読みたいと思います。
さておき「いくつになっても」で僕が実感しているのは、野球に関して。折に触れ毎週のように野球を楽しんでいる件をお伝えしておりますが、この夏あたりから、ようやくまともな球を投げられるようになりました。
野球に疎い方でも、キャッチボールと聞けば、およそ二人一組で球を投げ合う行為であることはご存じだと思います。父と息子が絆を深める、古典的なコミュニケーション術という理解もあるでしょう。
その、野球の大基本のキャッチボールがヘタクソだった。投げ方の基礎を学んでいない以上に、ミスを繰り返した体験が心に巣食い、人と向き合ったときに恐怖心が先に立つようになったみたいなのです。
「それはスランプか、イップスだね」
現在の優しいチームメイトたちは、そんな言葉をかけてくれました。けれどそれらは、一定以上の技術が身に着いた人が原因不明で陥る不振。僕のヘタクソは、高校卒業と同時に野球部出身の同級生と組んだチームに始まり、それ以降も一切の改善が見られなかった筋金入りなのです。
それを承知していながら数年前に飲み屋仲間と野球を始めても、やっぱりまともに球を投げられなかった。年長者なんで、みな気を遣ったんでしょうね。僕のヘタクソには触れないでいてくれた。そんな空気を察したなら、その先の道は二つ。もう無理と身を引くか。何としても投げて年若の気遣いを解消するか。
そんなこんなで諦めが悪い僕は、独学の末に理想に近づくことができました。数年もかかったのは、やはりヘタクソの芯が図太いのと、残念ながら年齢面の支障があると思います。
それでもとにかく、ようやくそこそこ投げられるようになったのがうれしい。それを確認できて、「いくつになっても」はあるぞと実感した次第です。もうひとつ確かなのは、上達を目指した時点で「いくつ」を気にかけなかったこと。どんなものにも果てがあるにせよ、自分で限界は決めないほうがいいんでしょうね。まるで応援歌の美辞麗句のようですが。
しかし、そういう諦めの悪さって、チームメイトにしたらタチが悪いってことになるのかな。だとしたら、ごめん。そこも何も言わずに付き合ってください。

引き続き白馬ストック。1週間経っているから、赤と白のバランスは変わっているんだろうな。
