これも直近の時事なので取り扱い注意ですが、年末恒例の流行語大賞が発表されるたび、よく知らない言葉が選ばれるもんだなあと奇妙な気持ちになります。流行に疎いせいか? それは否めません。ただ、流行語大賞に選ばれる言葉は、注目された事象ないしは話題の見出しのような印象を受けるので、そのトピック自体を知っていれば特に問題はないと、そういう割り切りができます。「ふてほど」も知りませんでした。由来となったテレビドラマは見ていたけれど、あれは「不適切」が肝なのに短縮したら元も子もないだろうに、とか、まぁそんな感じで大賞の重みが薄まる感を覚えます。
そこはかとなく伝統的な賞を否定するような文脈となっておりますが、いろいろ考えさせてくれる点で感謝していることは、文章全体の中盤でお断りしておきます。そして何よりこの賞ないしはムーブメントで重要なのは、使えない言葉を教わることです。
流行の対義語は、およそ衰退。事象も話題も、注目の度合いが大きいほど忘れられる速度が高まるので、そこで用いられた見出しは、「そんなこともあったねぇ」と皆が懐かしがるまで封印を余儀なくされがちです。要するに、なかなか使えない言葉になる。実際のところ文章を書く際は、まず流行語を使いません。無理している気配を悟られると痛々しいので。
では、流行は一切無視していいのか。そういうものでありませんよと諭したのが、松尾芭蕉先生。『奥の細道』で有名な俳人は、不変の真理を意味する不易と、変化による進展をもたらす流行のいずれも知ることの大事さを、長い旅の途中で体得したそうな。その「不易流行」と呼ばれた理念で創作された俳句が、300年以上を経ても尊ばれている。天才的な言葉の使い手として、改めて敬意を表せねばなりませんね。
そんなこんなで語彙に神経質な書き手としては、「ふてほど」より「不易流行」を大事にしたいわけです。とは言え、どこかにその言葉を挟んでも、現代の流通枠から外れているのは明白なので、「何それ?」と嫌われかねません。賞に関係なく、使えない言葉って案外多くて困ります。
そろそろ見納め。
