誰に読んでもらえるかわからないまま、毎日ここで何かを書き続けながらも、僕はこの世の中で起きている事柄の多くに、親身や切実になれないものだと溜息をついたりします。
たとえば、米。日本人の大事な主食なのに、値上がりは止まず、収穫があっても在庫薄。そこでとうとう政府が備蓄米を放出。メディアはその一連の流れを、令和の米騒動などと銘打って報道する事態になっていますよね。
しかし僕は、切実に受け止めていない。なぜなら、もう何年も米を買っていないから。オール・パン食の生活とか、炭水化物の摂取を禁じているとかではありません。古い友人や、母方の親類が毎年送ってくれる新米で事足りてしまうんですね。それゆえ、僕は米の適正な値段を知りません。まったくもって有難いことです。
だから想像するしかない。高価になっても米を買わざるを得ない人々の苦労を。この米騒動、僕が中学生くらいのときに起こったら、母親は大変な目に遭ったはずです。育ち盛りの男子は阿呆のようにご飯を食べますからね。であれば、現時点でたくさんお召し上がりになるお子さんをお持ちのご家庭は、さぞや知恵を絞っておられるでしょう。想像とは、そんなふうにイメージを連結させていくこと。それこそが親身。親の身になって考えてみろってことです。
それから、花粉症。コップ理論に則れば、やがて症状が現れるのかもしれないけれど、僕はいまだ悩まされていません。極めて飛散量が多いと伝えられた日は、そう言えば目が痒かったかもと思う程度で、鼻水や鼻づまりに伴った集中力の低下も覚えがない。これまた有難いことですが、多勢に無勢というか、ここまで花粉症を患わないと、一人だけズルしているみたいで申し訳ない気分になります。
それも想像するしかない。風邪などひいたときの鼻の不調を思い出して。でも、想像はどこまでいっても想像の域を出ません。クルマの運転中にふと窓を開けてしまうのが、まさにそう。「花粉が入る!」と同乗者に叱られないと、罹患者の切実さがわからないのです。
どんな事柄にも親身になり、切実さを理解する。そんな人になりたいと願いながら、2月が終わっていきます。

冬至から約2か月後の、お昼過ぎの影。短くなったんだろうな。
