元をたどればビンテージという言葉は、ワインを醸造するために収穫したブドウの年号を指す、いわばワイン業界用語なんですってね。ただしブドウには当たり年があり、また長期熟成に適したブドウを育てるのも難しいので、ラベルに記載された年号によっては特別な価値を持つワインになるという。合ってるかな?
その一方、年号が古ければ必ずしも美味しいとは限らないそうです。それはそうですよね。ワインも飲み物だから、熟成が過ぎれば口にできないはず。前に「これは珍しいよ」と言われて50年近く前の赤を勧められたけれど、正直なところ、半人前の魔女が午前0時過ぎに仕込んだ秘薬にも劣る、カスカスの風味でした。
さておき、僕の周囲でビンテージと言えばギターです。その価格が右肩上がりの一途をたどり、いよいよシャレにならない領域に入っているみたい。
そういう価値変動が理解できなくはありません。その年代でなければ使えなかった木材や、少量生産ゆえの職人的手法によって完成しているので、希少性の高さ、ないしは時間が経つほどに値が釣り上がるのは当然です。
そしてまたギターという楽器の場合、古いほどいい音になるという通念があります。しかし、いい音ってのが厄介なんですよね。あくまで感覚の話だから、私にいい音があなたにもいい音とは限らないわけです。なのに場合によっては、「これは戦前につくられたから」という年号だけが価値判断の材料になっていく。
古いギターにとって重要なのは、今日までどのように保管されてきたか、なんですよね。よく聞くのは、新品当時のまま誰の手にも触れず残ったものより、いろんな人の手に渡りながらも大事に弾かれてきたギターのほうがよく鳴るという話。僕はそれ、信じられます。手に入れて20年以上が過ぎた僕のギターも、昔より響くように感じるから。
そうした手応え、または耳応えを実感すると、僕は新品から時間を共有したいと思うのです。それで育ったギターが一般的なビンテージの価値基準から外れようと、僕だけの1本になるのがうれしいから。
そんな価値観を持つと、世間のビンテージ騒動を蚊帳の外におけるので助かります。それに、誰もが羨むギターを持ったら相応の腕前がないと、ねぇ。いやまぁ、ワインもギターも自分にとって最良なら、それが素敵だと思うんですけれど、どうですか?

こういう看板、買わなくていいものにまで手を出してしまいそうな神通力を放っている。
