知らないほうがよかったかも、と思うことは案外たくさんあります。
たとえば、アスファルトに咲く花。歌詞として歌われていますね。涙の数だけ強くなれると励ますための見本として。しかし本当にアスファルトに咲く花は、多くの涙を耐え忍んできたのか? これが必ずしもそうではないらしいです。
まずは、どこに種が落ちるか。植物の成長に不可欠なのは、光と水と二酸化炭素。それさえ摂取できれば、いわゆる野に咲く花はどこでも育つことができるそうな。それを前提条件にすると、風や昆虫などによってたまたまアスファルトの隙間に種が運ばれても、つまりは草原のような土の上でなくても、植物は成長できるわけです。
とは言え、人工物のアスファルトに囲まれていたら、さすがにしんどいだろうと思いますよね。ところが、それもちょっと違うみたい。確かに、人やクルマを通すために敷かれたアスファルトの上に種が落ちれば、多くは潰れてしまうはず。けれど運よくわずかな隙間に転がり込めたら、周囲にライバルが少なく、アスファルトの上にたまった雨水を独り占めできるので、生存競争の勝率が一気に高まるらしい。
一方、人やクルマの往来が激しい場所であれば、踏み倒される可能性も高くなります。となれば、傍若無人な人間文明に影響されない場所との生存比率が気になりますが、おそらく植物はそんなの関係ないんじゃないでしょうか。とにかく生きて、先祖代々続いてきた種を守る。その使命感を果たすためなら、どこだって咲く……。
以上の話は、アスファルトに咲く花を目の当たりにしたところから来ています。後で調べたらスミレでした。紫色の花弁があまりに可憐なので、「健気にもこんなところで」と心が動いてしまいました。けれど本質を感じ入るなら、可憐さや健気さよりも、たくましさやしぶとさなのだと気付かされた次第です。同時に、あれこれ思考する人間の勝手さも思い知りました。スミレさん、なかなかにタフな花でした。

こちら、見た目は土っぽいけれど粗目のアスファルトに咲くスミレさんです。
