母の日々

毎年5月の第二日曜日は、母の日。この春に社会人となった方は、初任金でささやかなプレゼントを贈るという、心温まる機会に巡り合っているかもしれません。他方では、特定の日に限定して母親への感謝を示すのはおかしいなどと適当な理由をつけて、特に何もしない方もいるでしょう。僕はそのタイプ。なおかつ血縁に対しては奇妙な照れが先に立ってしまう人間です。
だから今年も平日と変わらず。ただ、感謝や慰労を越えて、あれこれ母親を心配するのは、まさに特定の日限定ではなくなってきました。90歳超の杖突く老人ですから、買い物やゴミ出しなど、無事に済ませているだろうかと、日々ふとした瞬間にそんなことを思います。
「なんで私が転ぶのか、わからない」
ついこの間は、そんな憤慨を口にしていました。周囲の人から杖を使うのが上手いと褒めそやされていることに加え、だいぶ膝が悪くなってきても健脚自慢を譲りたくない気持ちの裏返しなのでしょう。転倒の原因は、杖の先端に備わるゴムキャップの摩耗でした。露出した金属部分が地面を滑りやすくさせた事実がわかると、「ほうら、私のせいじゃない」みたいなことを言うわけです。へたったゴムキャップは弟が新品に換えてくれました。
そうした強気の発言は、子供たちに迷惑をかけたくないという、母親としての信条から出ているようです。でも、息子だからわかる意地っ張りなその性格に、僕はどこまで安堵し、いつまで甘えられるのだろうと、ここ数年はずっと考えています。ここ数年というのが80代後半から90代前半なので、何かもう訳が分からなくなっていたりしますが、“いつ”が今日や明日であってもおかしくないんですよね。
かつてほど自由に動けなくなった日々を母親はどう感じているのか。それについて息子の僕が照れや言い訳なしで向き合う日は、間違いなくそこまで来ていると思っています。いや、“どこ”や“いつ”や“そこ”ではなく、具体的な期限を設けるべきかもしれませんね。

踏切の脇でタフに健気に咲くアブラナ。強いて言えば僕の母親はこんな感じ。

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