毎週月曜日だったか、月に1回だったか。いずれにせよ僕が通った中学校では、体育館で行われる全校集会が定期的に行われていました。始まりと終わりは、演壇の脇の階段に据えられた大太鼓が告げるのが習わし。理由は知らなかったけれど、僕が所属した男子バスケ部の主将がばちを握って叩くことになっていました。
その全校集会のメインプログラムは、校長先生のご講義。普通の悪ガキ程度では校長にお世話になることはなく、だから具体的な人物像もまたよく知らなかったけれど、たぶん専門教科は国語だったんじゃないでしょうか。ご講義では文学を軸にして様々な説法をされていました。
などと敬意とともに丁寧に記憶をたどっておりますが、生徒の大半にしてみれば退屈な時間でした。体育館の冷えた床に体育座りって、それだけで抑圧される感じだったし。そんなわけで、今聞けば興味深いお話も、当時は馬耳東風。ウチの部の主将が間違って早く大太鼓を叩かないか、常に期待していました。
けれど一つだけ、断片的ながら覚えているお話があるのです。大筋はこんな感じ。
「爺さんが死に、婆さんが死に、父親が死に、母が死に。ああ幸せ」
そして校長先生は、この歌が語る「幸せ」について、順番の正しさを説いたように記憶しています。なぜこの話を覚えているかというと、中学生に向かって朝から死を語ったこと以上に、家族が亡くなる順が幸につながるという概念が、あまりに衝撃的かつ斬新だったからでしょう。そして言うまでもなくこの記憶は、歳とともに確かな重みを増していきました。
そのお話は、僕が覚えている限り、斎藤茂吉という有名な歌人の一篇だったはずなんですね。そこでいつだったか、この歌にたどり着くため斎藤茂吉さんを検索してみたのだけど、該当作に出会えませんでした。記憶違いなのだろうか。普遍的なテーマだから、あるいは高名な僧侶の言葉だったのかもしれません。
この件を思い出したのは、今日が1882年5月14日の誕生日を由来にした、斎藤茂吉記念日と知ったからです。何かの縁かもしれませんね。検索ではなく、一つずつ作品を当たって確かめなさいと、今はもういない校長先生に言われたような気がしています。

そして今日は、さださんのニューアルバム発売でもあります。自身通算50作品目なんだな。
