究極の親密感

原作と映像作品はどちらがいいか、という議論は尽きないのかもしれません。何にせよ対立構図を避けたいものですが、先月NHKで放送されたテレビドラマでは、原作でしか感じられないものが浮き彫りになったことが個人的な実りになりました。
ドラマのタイトルは『地震のあとで』。原作は村上春樹さん。元は文芸誌に掲載された短編連作で、書下ろしを加えた全6話を『神の子どもたちはみな踊る』という新刊に収録して、2000年2月に発行されました。NHKはその中から、4作をピックアップして映像化。「さてどうなりますか?」みたいな上から目線的に鑑賞した村上さんのファンは多かったでしょう。その一人である僕の率直な感想は、「結局のところ終始確認だった」でした。
ただし、どこがどう違うかという重箱の隅をつつくような仕打ちではなかったのです。たとえば各作品のキャスティングについて、その是非を問う気はありません。
とは言うものの、文章によって想起させられる人物や背景が、生身の俳優や実在するロケ地や人がつくったセットで具現化される時点で、強いて言えば何もかも違ってしまうわけです。この件に関しては、「それが嫌なら見なければいい」が僕のスタンスなので、文句は言いません。
それを踏まえて、原作と映像の違いについて語らせてもらうと、前者にあって後者になかったのは、親密さでした。書き連ねられた文字を自分なりのペースで読み、自分ならではの想像力で物語の解像度を上げていく読書という作業は、極めて閉鎖的なんですよね。だから没入感が高まるほどに、この世界には書き手と読み手しか存在しなくなるというか、小説が導いてくれる世界だけが目の前に開けているように思えてくる。
それを究極の親密感と呼ぶなら、それを存分に楽しませてくれるほぼ唯一の表現者が、僕の場合は村上さんなのだと改めて気づかされたのです。僕は何かにつけ、親密さを与えてくれるほうに傾くみたいです。
ところで『地震のあとで』は、10月に劇場公開されるそうです。テレビ版になかった新たなつながりを加えて。そうして映像が違いを覚悟して発展するなら、またしても確認作業に付き合いたくなりますね。

実はブラシノキって珍しくないのかな。文字通りブラシの穂に見えるのは、雄しべらしい。

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