手を焼く

5月18日は『ことばの日』なんだそうです。由来は五と十と八の語呂合わせらしいので、これに関しては言及せず、本日の話題の枕に使わせいただきます。
そんなわけで、最近心に留まった言葉が『手を焼く』。「ウチの長男は中学に入ってから部活ばかりで勉強せず、まったく手を焼いています」とか、僕の母親は近所の人に愚痴っていたかもしれない。
そんな感じで、扱いに困った様子を示す慣用句が『手を焼く』。『持て余す』と同義ですが、『手』という文字を使う点で、微妙にニュアンスが違う気がします。
なかなかに奇妙な表現なんですよね。あれこれ調べても、困窮の局面に対して肉体の一部を痛める状態を重ね合わせた理由がつかめなかった。ただ、ある語源解説では、火に手をかざす距離を間違うところから来たという解釈を見ました。
それを頼りに検討の枝を伸ばしてみると、まず火は、暖を取るありがたいものであり、同時に扱いを間違うと危険な代物でもあるわけです。だから手をかざす距離によっては火傷に至る。ならば手袋などで肌を保護すればいいのかもしれないけれど、あえて素手だからこそ適度な距離を測れるのではないか。または一度や二度は近寄り過ぎて痛い目に遭ったとしても、それ自体が生きるために重要な経験値になっていく……。
以上の考察をもとに一定の見解を導き出すと、扱いに困るもの自体は基本的に火と同じく天然の部類であり、その対処は生身の肉体で応じられると判断した場合、『手を焼く』という言葉を使うのが適切だと思うのです。人の世話はこれに該当します。
あるいは『手放す』も、『放棄』や『売却』などの場面で使う場合、別離の間際の人差し指あたりに名残惜しさが漂う感じがしますよね。ゆえに肉体の一部を用いた言葉には、人間の細やかな感情が込められているのでしょう。ひとまず物書きとしては、上手な使い分けを心掛けたいと思います。こちらの意図が汲まれないことに手を焼いたしても、決して諦めずに。

梅雨がデモンストレーションを始めたみたい。湿度がねぇ。

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