詮無い

詮無い(せんない)という言葉には、「仕方ない」「無益」といった意味合いがあります。日常的に使われない傾向があるので、自分の原稿でも使用をためらったりします。けれど、「それは仕方ない」とドライに斬り落とすのではなく、いくらか残念なニュアンスを含ませたいとき、つまりはある程度の湿り気を漂わせたい場合、「詮無い」ほど適切な形容はないなあと思うんですね。
さておき、時々耳にする俳優さんへの質問で、「たまたま観た作品の演者が自分だったらよかったのにと思うことはありませんか?」なんてのがあります。あるいは、「オーディションに落ちた作品を観てどう思いますか?」というのもあったりする。こういう問いかけは、一定の実力と人気を持つ人にしかできませんね。現在進行形で出番が回ってこない役者には、辛辣すぎて聞けません。でもまぁ、いずれにせよ、実質的に無益な質問です。
なのだけど、僕も時には自分だったらと、そんなおこがましいことを考えたりもします。たとえば、よく声がかかる特定クライアントの仕事で自分が選ばれなかったケースに触れると、ひとまず公開された文章を読んでしまいます。しかし、精神的に芳しい行為ではありません。取材対象者との相性や、専門性の差異など、おおむね物理的な理由が判明するならいいけれど、そうではなかった場合は気分を下げる他になくなるから。
ただ、そうでもしないと同業者の仕事を確認する機会もないので、安定した気持ちで読めるなら、相応の成果みたいものが得られるかもしれません。
それから、と続けるのもナニですが、計画だけで立ち消えになった仕事も、実現していたらどうなったんだろうと想像することがあります。自分から手を出してこなかったジャンルであればなおさら、挑戦意欲に身構えた分の口惜しさが残ります。
でも、そうではないもの、そうならなかったものに意識を向け続けると、邪な思念ばかりが膨らみそうでよろしくない。なので、そこは縁がなかったとすっぱり斬り捨てるべきでしょう。つまりは詮無い。無理してドライに割り切りたいとき、これほど適切な言葉はないなあと。

近所の紫陽花。数日ですっかりらしくなっていた。

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