外国の、というよりも生まれ育った文化が異なる友人がそばにいると、「こういうときには、そういう感じなんだな」とハッとさせられることが多々あります。
僕が所属している野球チームでともにプレーするアメリカ人。彼は、何がそんなにおもしろいのかよくわからないくらい常に明るく大きな声を出すんですね。僕ら日本人にするとステレオタイプ的アメリカンでもあるのだけど、それとは別に、ふとした瞬間にマインドの違いを感じさせてくれます。
「俺たちだってたくさん練習しているんだから、そんなことを言うな!」
これは、対戦相手が強そうで、「ちょっとヤバいかも」と僕らが身構えるような気持ちを口にしたときの彼のセリフです。そう返すのが彼らの感性なのかと、こういう発言には「ほお」と感心します。
何だろう、僕らは草野球でさえ勝負という半ば物騒な言葉を持ち出すことで、今日の結果にこだわり過ぎるのでしょうか。対して彼は、あるいはアメリカ人は、試合をGameと呼ぶことでひとつずつのプレーを楽しもうとするのでしょうか。そんな気がしてならないのは、負けの概念の差異にあるようです。
上手くいったとき、野球で言えばヒットを打った場合は、成果を挙げた人間を手放しで称える。これは洋の東西を問いません。ただし凡退に終わったときは、ベンチに戻ってきた者の迎え方が違います。
日本人は、そっとしておくと言えば聞こえがいいけれど、腫れ物に触るような扱いになりがちじゃありませんか。対して僕のチームのアメリカ人は、そういう場面では無言のままそっと近寄ってきて、肩を叩いたり、グータッチのための拳を突き出してきます。これがホッとするんですよね。「次があるじゃないか」と静かに激励されるみたいで。真のポジティブって、そういうことなんじゃないかと思わされます。
マラソンの応援でも似たようなケースがあります。ホノルルでは沿道の人たちから、「あんたならできる!」みたいな声しか聞こえてきません。しかし初回の東京マラソンでは、「まだ半分だぞ」と言う係員を見ました。どちらも激励なのでしょう。けれど、どっちがうれしくて前向きになれるかと言えば、という話ですね。

で、踏切ですが、風情があると思いつつ、長く開かないとウザってなる代物なんですよね。
