ペリー提督と懐かしい痛み

アメリカ合衆国海軍のマシュー・ペリー提督率いる4隻の蒸気船、通称“黒船”が東京湾の浦賀沖に現れたのは、1853年7月8日(嘉永六年六月三日)。その6日後の7月14日。通商条約の親書を時の将軍に手渡すため、提督自ら久里浜に上陸。そんなわけで、今日はペリー上陸記念日に定められているそうな。
襲来とまで表現された黒船のインパクトは、海外渡航に飛行機を利用するのが当然の現代人には理解できないものでしょう。たぶん、今日の東京にUFOが着陸するのと同じくらいの驚異と恐怖を感じたんじゃないかな。
いずれにせよ19世紀末の世界は、西洋諸国の海外支配拡大が盛んになり、鎖国という手法で国を守ってきた日本も、いよいよ時流から逃れない事実を突きつけられた。これが国際関係における黒船の意味。そしてこの事件をきっかけに、江戸時代は一気に終焉へとなだれ込むのです。
そうした史実はさておき、かつての僕はペリー提督に憤りを覚えていました。なぜ神奈川県寄りに船を停めたのか。もし千葉県側だったら、その後の千葉の栄え方、というより人気度が変わったんじゃないかと。
なにゆえ確定している歴史に怒ったのか? 最大の理由は、千葉県で暮らしていた当時の僕がオートバイで横浜に行くと、ナンバープレートを見た現地の人から「ああ」と言われるのが癪に障ったから。それはすべて、黒船を機に横浜が国際港として開かれたせいです。そうして浦賀や久里浜を含む神奈川全域が、オシャレな感じなのに海も山もある素敵な土地として認知されていった。千葉だって、横浜がないだけで海も山もあるというのに。
いやまぁ、黒船艦隊は先に琉球王国へ寄港しているので、西方から日本の首都が控える東京湾に入るなら、西寄りの三浦半島のほうが好都合だったのもわかります。けれどもし僕が時空を飛び越える能力を持っていたなら、木更津とは言わないまでも、せめて館山あたりにペリー提督を呼び込みたかった。
なんて詮無い思いに苛まれながら、逃げるようにして横浜から帰ってきたことを思い出しました。ペリー提督への恨みも含め、それはそれで懐かしい痛みです。

それが来る数時間前。予兆は雲の勢いに見て取れた。

 

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