二の句が継げない場面を迎えるのは久しぶりでした。一瞬にして重い空気が立ち込める中、(これが絶句)と沈黙のつぶやきを唱えたときの僕は、たぶん視点が定まっていなかったと思います。
「そんなことよりも!」
そう言い放ったのは、現場における中間的立場の、おそらく40代後半の男性。早朝から働き詰めだったからか、地味目の服装と相まって、夕方あたりには疲弊が染みついた、いかにも中年的な気配を漂わせていました。
それはそれとして、取材を行う僕らに向けた彼の情報は、初めて会った午前中からずっと間違いだらけ。おそらく、上から聞いたことを流すように伝えただけで、彼自身も蓋を開けるたび困惑していたのかもしれません。だから日暮れ頃に発した言葉には、堪り兼ねたストレスが闇落ちした勢いが滲んでしまったのでしょう。
「そんなこと」発言は、これまた上から指令された撮影内容に端を発します。僕はそれに違和感を覚えたので、改めて確認することを勧めました。彼の言う通りに撮ってしまえば、ものをよく知る読者から指摘を受けかねず、最終的には彼や僕らに共通するクライアントに迷惑が及ぶと思ったから。
しかし彼には、確認を取る時間も、または下から上に確認するという行為すら存在しなかったみたいです。そうして彼は、僕の疑念や心配を「そんなこと」と言い放つ怒気で吹き飛ばそうとした。
本当に驚きました。滅多にないんです。準備も判断もその場しのぎでやり過ごそうとする人がいる現場なんて。後に幸いと思ったのは、彼をやり込める反論を口にしなかったこと。その点では、二の句を失った絶句に感謝です。
一方、後に想像して切なくなったのは、彼の日頃の置き方です。どんな指針や意欲のもとで働いているかはわかりません。ただ、もっと楽しく仕事ができたらいいのにと思ったら、だいぶ彼が気の毒になりました。
ふと記憶がよみがえったのだけど、若い頃に大人から、「仕事が楽しいはずはない」と言われたときも絶句したんだっけ。ショックでした。僕は仕事が楽しかったし、自ら楽しくするものだと信じていたから。
労働には何かと困難がまとわりつくけれど、たとえ思い通りに進まない局面を繰り返しても、仕事を楽しくする努力を「そんなこと」と諦めたくない気持ちは、わりと青臭いまま今も残っています。それを保存できるのは、僕が環境に恵まれているから? あの彼に問うてみたい気もするけれど、面と向かったら言えないだろうな。

久しぶりの日差し。やっぱりハレはよい。
