腕時計をいただきました。
いろんな出会いを生んでくれるマーティン。昨日は立川志の太郎さんとの縁に触れました。そのマーティンの日本総代理店となって35年を迎えた黒澤楽器店が、ジャパンブランドのSEIKOとマーティンのダブルネームウォッチを350本限定で発売。そんなファン垂涎モデルが僕に贈られたのは、9月の誕生日祝いだったそうな。それがなぜ10月の末に?
20年超の付き合いがあるマーティン担当者からは、すでに9月末、ロットナンバー170(トナオ)のギター弦が送られていました。安いものではないけれど、まぁ弦だし、「たまたま170を見つけてくれたんでしょ」みたいな感じのお礼を送信したんですね。しかし担当者は、そんな程度の挨拶かよと、実は軽くご立腹だったらしい。
なぜなら、送ったつもりのプレゼントが件の腕時計だから。しかもシリアルナンバー170をわざわざ選び取って。そりゃイラつきますわね。
奇妙な行き違いの原因は、この間会ったときに判明しました。彼と彼の部下の間で、ロットナンバーとシリアルナンバーの確認漏れがあったらしい。それで腕時計ではなく弦が送られてきた。そんな時間差と、担当者の驚きと部下の謝罪とともに、僕は素敵な腕時計を頂戴することになったのです。どうもありがとう。
しかし、僕には腕時計をする習慣がない。そうなったのも、ある種の行き違いが原因でした。
この仕事に就いた20代の半ば頃。なぜか周囲には、他人の腕時計や洋服などのブランドをしつこく聞いてくる輩が多かったんですね。それが酷くウザかった。その結果、「誰かが決めた価値に振り回されるのってどうなんだ?」という僕なりの価値観が芽生えたのです。とは言えブランドのすべてを嫌ったわけではありません。憧れたマーティンにしても、高級ギターのブランドだし。なので僕の価値観は、天邪鬼で偏見に満ちていることをお伝えしておきます。
いずれにせよ、身の回りのもので人を値踏みする連中を遠ざけるため、僕は腕時計をしない人生を選びました。それから幾星霜。選んだ先で何が起こるかわからないのも人生ですね。シリアルナンバー170の重みを受け止め、僕は腕時計の人になるのだろうか。ならなかったら、贈り主に申し訳ない気もするし。何か今、わりと悩んでいます。

箱も立派なので、余計に悩ましいんです。
