「休み明け直後に三連休なんて」とか、繰り返される異論はただの愚痴へと陳腐化するのが世の常です。
そんなわけで、今日は成人の日。だからと言って、自分の二十歳を振り返ったり、それから40年以上も過ぎた現在の心境を述べるのも陳腐。ならばこの祝日に何を書くか考えたら、数年前の成人式が頭に浮かびました。
2022年は姪が二十歳の年。ゆえに成人式は2023年の1月。なのに素敵な振袖を着るのは式の2か月前と聞かされて、「何だそれ?」と言い返した覚えがあります。
ホテルで着つけてもらって、記念写真を撮る。そういう仕組みがあるそうですね。振袖はその場限りかと思いきや、式の当日に同じものが着られるという。おやと首をひねった伯父は、姪の父親である弟に疑念を伝えました。それじゃよろこびが分散しちゃうんじゃないのかと。
「今はそういうもんなんだってよ」
彼の返答に疲労の色が滲んでいたのは、それらの仕組みに相応のコストが嵩んだからだったようです。でも、仕方ない。両親直系の田村家としては初の女児だから、むしろ積極的に祝っていただかねばなりません。
「二度も着られるからいいでしょ」というのは、弟の後で同じ疑念を伝えた姪の返事でした。そこは女子だからというか、彼女に限れば、娘として可愛がられるのはごく自然なことと受け止めているようです。悪くはない。しかし、やっぱり女の子の父は苦労が絶えないんだと、ようやく弟に同情することができました。
ホテルでの撮影会からしばらく経った頃、晴れ着姿の写真が送られてきました。和傘などの小道具を使い、背景を変えたいくつかのカットを眺めて、ほおほおと独り言ち。伯父らしい気分を味わわせてもらいました。
そのときも思ったのですが、そうした一連の流れを体験すると、成人の日が自分事になりますね。そしてまた、成人の日が自分事になるのは、二十歳の当人だけではなく、二十歳まで見守った家族かもしれないと思ったりします。そんな感慨を抱く人が、今日はたくさんいらっしゃるでしょう。おめでとうございます。
僕の自分事に関して唯一残念なのは、晴れ着の姪の家族写真に伯父が不在であること。母親なんて、澄まし顔で写っているんですよね。まぁ、陳腐な愚痴だからいいんだけど。

これも光源が珍しかっただけの、特に意味のない写真です。
