時代のOKと僕の感性

半ば惰性的な気もするテレビ好きゆえ、期が変わると新しいドラマのチェックが始まります。僕は録画派。番組表を見て、題名と俳優陣を確認して、「ふむ」と思えたタイトルの第1話を片っ端から予約していきます。
すると、当然のことながら録画リストに[NEW]が増えていき、その様子に溜息をつきながら、予約した責任を果たすように再生していくわけです。けれど、この段階はあくまで確認作業。第1話で合格なら残留決定。次からの録画日は[毎週]に。次を観て決める保留になれば、翌週も日付で設定します。
そんな形で観るべきドラマを絞っていくのだけど、各新作がおよそ3話を迎える1月第3週となり、今期はほとんどが生き残れませんでした。僕にしたってテレビばかりに時間を割けないので、視聴本数を減らすのは既定路線。でも、「どれもおもしろくて困る」といった状況に期待しないわけじゃないのです。でも、そうはならない。最近は毎度のことですが。
そんな傾向に対して、やっぱりテレビはつまらなくなったと断じていいのだろうか?
ふむ。実際のところ、発見や新味が少なくなったのは間違いないかもしれません。個人的には職業系の物語に興味があって、そこに若者の恋愛模様が絡んでもいいのだけど、専門領域の描写が浅くなったり、雑に扱われ始めると、途端に残念な気持ちが広がっていきます。
一方、ここで疑ってみるべきは、自分自身の観点です。1本のテレビドラマが放送されるまでには、各段階の責任者の了承があるはず。それらが時代のOKならば、僕の感性がそれとずれているのかもしれない。
確かに、かなり長くテレビを観てきた経験によって、口うるさい批評眼しか持てなくなっている可能性は否めないでしょう。
いやしかし、他人に煙たがられるほど狭量になっていないとも思いたいんですね。創作や制作が好きだし、それにもしテレビを諦めていたら、いまだに期が変わるたび新作チェックはしないだろうから。
つまるところ、あらゆるものが変化するとして、それについていけなくなったのは自分なのか、または相手なのか。それが不安なのかもしれません。僕は自分じゃないぞと思っているのですが、高慢が過ぎるでしょうか。

枯れ芝が愛おしい、大寒の河川敷。

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