昨日の「時代のOK」は、実はテレビ以外にも変化に関する件が重なったので、あんな話になりました。
テレビ以外というのは、音楽方面。もう20年以上、新しいアルバムが出るたび買い求めきたバンドの現在地に、ついていき難くなりつつあります。彼らのデビューは僕が聴き始める10年以上前になるので、キャリアも相当なものだけど、その長い経験が新たな創造を苦しめているじゃないかと、勝手に想像しています。
多くの人に名前を知ってもらえるヒット曲を生み出すだけでも大変なこと。あるいはそれ以上にしんどいのは、ヒット曲の連発かもしれません。前と違うものはつくれても、前とは違ういいものを提供するわけですからね。なおかつ売れ続けるためには、クリエーションの枯渇との飽くなき戦いを強いられるんじゃないでしょうか。
いや、好きな音楽家には、かつてのようなヒットを望んだりはしないのです。ただただ彼らなりの、そして僕にフィットする作品をつくってくれるだけでいい。そういう新作は、自分に慧眼があると誇るまでもなく、多くの人に響くのを知っているから。
けれど作者も年齢を重ねれば、世代的なリアルに目を背けられなくなるのかもしれません。甘いラブソングも、若い頃のようには書けなくなる。リアリティを発動させて創作ができるのは、30代ないしは40代前半が限界でしょうか。
様々な現実を知った自分を投影できなくなると、次は普遍的か哲学的な歌詞が多くなる。歌詞には音が乗るので、メロディがおもしろければ興味を掻き立ててくます。けれどメロディも、最近の若手の難解さに影響されると、そっちに行ってしまったかとなる。
わかっています。素人なりに音楽をつくる難しさは。それにファンなら、文句を言わずひたすら応援しろという信条も。だからこそ、あくまで僕の感性とずれ始めたのを承知の上で、ここ数年は新作を買い続けてきたのです。けれどいよいよ、次はどうしようという段になってしまった……。
これも要するに、互いの変化の齟齬なんですよね。人は僕に合わせて変化しないし、僕もまた人と同じように変われない。そうした客観的なリアルに直面して、主観的なリアリティが閉じていくのが、たぶんさびしいのでしょう。創り手のOKに応じたいんだけどなあ。とか言っても、いい意味で裏切られることを期待して、次までは聴くと思うんですけれど。
太陽を反射するビルがビッカビカなのは、空気が澄み過ぎているからだろうな。
