父に連れられて僕らの野球チームに初参加したときの彼は小学4年生でした。体型はまだ幼児寄りで、プレー自体も力感の乏しさが顕著。いかにも子供らしい頼りなさとちょっと内向的な性格をかわいらしく見ていた記憶があります。
それから2年経った彼は、見た目でわかるほど背が伸びていました。いさかか奇妙ですね。懐かしい幼い顔が以前より高いところにあるというのは。そのアンバランスさを専門的にどう呼ぶかは知りませんが、たぶん少年期の始まりと称して間違いないでしょう。
さておき、顔つきはそのままの彼のプレーは激変していました。僕の傍らで行われていた父子のキャッチボールは、気付けば20メートルほどの間隔に。背が伸びたと言ってもおそらく小学6年生の平均値程度なので、距離が離れれば大人より小さく遠くに見えてしまうんです。にもかかわらず、実質20メートルの距離に届く球を投げ続けている。全身を目いっぱい使う動作は、新品の輪ゴムを弾くみたいにしなやかで軽やかでした。
10センチくらいなのかな。それだけ身長が伸びれば運動能力に多大な影響を及ぼすのは頭では理解できるけれど、同じ個体とはにわかに信じ難い姿でした。それが成長の底知れぬ力なのでしょう。そしてまた少年初期の成長は、本人には自覚を与えないようです。試しに聞いてみたんですね。久しぶりに会った大人に大きくなったと言われるのはウザいかと。そうしたら予想通り、小さく頷きました。
僕がそうでした。自分じゃわからないものですよね。身体が一方的に大きくなることで何がどう変わるかなんて。たとえば彼に、以前はできなかったことができるようになった理由をたずねても、野球をやり続けていたと応じる他にないでしょう。あるいはかつての服や靴がきつくて身に着けなられなくなっても、特段の疑問は抱かないはずです。それらの原因を検討する前に身体が育ってしまうのだから。
ふと、こんなことを考えました。やがて直面する面倒な思考で肥大せずにはいられない精神の器を具えるために、まずは体を熟させるのが成長の真実ではないかと。どうでしょう。いや、そんなことを考えること自体が彼にはウザいよな。
彼の球を受けたのですが、もうビシッと来ますよ。もはやチーム内でトップレベルです。なのでこれからは、成長がどうこうではなく、プレー自体に叱咤激励の言葉を投げようと思います。少年と対峙するには、それがもっとも妥当な態度だと思うんですよね、僕の経験上。

休日の公園は、無知と既知が入り混じる成長のカオス。って考えるのがウザいね。
