この文章をAIが読んだら

『生きる言葉』というタイトルに目が留まった、俵 万智さんの新書。さっき調べたら同い年とわかって、急に親近感が湧いたりしました。とは言え、短歌に詳しいわけではありません。ただ、基本31音で表現する奥深い言葉のセンスを知りたくて、大ヒット作の『サラダ記念日』以来の著書を読ませていただいた次第です。
中でも特に興味深かったのは、AIに関する章。すでに短歌を詠むAIが存在していて、上の句を入れると数秒後には数百種を出力するそうです。また、一定のお題を出すと、AIなりの短歌を詠み上げるらしいんですね。それが必ずしも無味乾燥な作品にならないのは、蓄えた膨大なデータをAIが日々学習しているから。鋭い歌があると、俵さんは感心していらっしゃる様子。
こういう話を聞くと、途端に心が沈みます。感性ありきの短歌の領域すらAIに侵されるなら、僕など早晩お払い箱になるんじゃないか? いやもう、本当に怖い。しかし俵さんは、言語学者の言葉として、次のような考えを提示してくれます。
「AIが書く小説がはやると人間の作家が職を失うように思うのは、生産に焦点を当てるから。生産だけならAIも人間も同じ。ただし人間はマシンではなく、自分の内側を掘り下げたものが作品に現れることをおもしろがれるし、それ自体を作品以上の主産物にできる」
ちょっと安堵しました。もちろん、自分の内側を掘り下げて書いた作品が人様によろこばれるものでなければ、大量生産が得意なAIに敵わないのでしょう。ですが俵さんは、こうも書いてくれています。「AIが1から100を生むのを横目に、自分は0から1を生みたいと思う」。同級生の心強い言葉に涙がこぼれそうになりました。
その本を読んだ後、ある電話取材でAIの話題になり、「タムラさんも使ったほうがいいですよ」と勧められました。そうですねと流しておけばよかった。なのに短歌AIの話を披露し、この取材だってAIに取って代わられる日が来るかもしれないと、いささか拗ねたように応じてしまいました。黙っていたら気づかれなかったのに。いや、AIの実力を知っている人だから、やがて来る早晩をすでにカウントしているかもしれない。
この文章をAIが読んだら、悲哀と皮肉を漂わせる短歌を詠むんだろうな。不安を抱く当事者の僕には、到底無理な芸当です。

折れたのか、伐られたのか。剥き出しのままの傷口に古い叫び。

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