あらゆる自然災害の記憶に関して毎回思うのは、さしたる被害を受けなかった自分に何かを語る権利があるのか? という疑問です。とは言え、生まれて今日までの間に見聞きした国内の災害のほとんどは、決して忘れることができません。知り合いが多くいた阪神・淡路。その日に震源地の近くにいた中越。熊本も能登も。そして2011年3月11日の東日本大震災も。
あえて「たった」と言います。たった15年程度では、あの日の自分の行動や感情を消し去ることなどできるわけがありません。直後も同様です。繰り返す余震と、津波の映像。初めて耳にした計画停電。15年前の今日あたりは、福島の原発事故の行方も大きな気掛かりになっていました。
けれど、なのです。僕の身内からは、地震に限らず幾多の台風や豪雨・豪雪による直接的な被害を受けた者が出ていません。それは幸運なことに違いないだろうけれど、そうではなかった人々に向けて何ができるかを考えるとき、「忘れてなどいません」と言うだけでは、ただの自己満足や欺瞞に過ぎないと思ってしまうのです。
もちろん、想像力だけは働かせたい。そこで、今年の3月11日時点で東日本大震災の避難者が全国で約2万6000人いるという情報に耳を傾け、お一人ずつのご苦労を考えてみるのだけど、数字に圧倒されるせいか、リアルな情景は浮かんできません。たとえば、その数字の中に自分の母親が含まれていたらと思ってみても、やはり実際の話ではないので、想像はまるで膨らまない。というより、そうでなくてよかったと安堵してしまうのです。
けしからんことばかり口にしていますね。すみません。叱られついでに吐露すれば、忘れられない日付が巡ってくると、その日の出来事について語るべきか否かを検討して、いささかしんどくなります。それもあるいは、微々たるものであれ災害による被害と呼べるのかもしれません。しかし、それも“けれど”の範疇から出るはずがない、語る必要がない痛みじゃないかと。
今週に入り、そんなことをずっと考えていて、それでも語りたいなら順番を待つべきと、2日遅れで15年前に触れてみました。

早咲きで有名な近所の1本。カワヅさんのような、ソメイさんのような。
