直感的に書きます。いよいよ最終週となった朝ドラ。半年なり付き合ってくると、相応の覚悟を持って最期に立ち会わなければなりません。なぜなら、大河ドラマもそうだけど、それらは常に主人公の人生をほぼ時系列でたどるので、最終盤では主人公の死を意識せずにはいられなくなるからです。
それは、番組をつくる側も同じでしょう。ただ、人の一生は死に際ではなく、生き様を語るべきという考えもあって、必ずしも臨終をクローズアップしなくてもいいかもしれません。けれど、ドラマの構造が定番を守り通すなら、制作陣は毎度訪れる瞬間の描き方に責任を持たなければならないと思います。
などと大層に語ったところで、リアルに見せられてもしんどいですよね。特に身内を送った経験のある人は、諸事情の違いはあれ流れを知っているから大丈夫と、そういう心持ちになるだろうし。だからむしろ、「そんなんじゃないなあ」というくらい、フィクションとして綺麗にまとめてくれたほうが安堵したりします。昨日の『ばけばけ』も、そういう演出でした。
そう了解した上で、さらに素人が偉そうなことを言えば、重要視したいのは死の予感です。これはそれぞれの物語、ないしは登場人物によって、千差万別だと思うんですね。ゆえに不謹慎な表現をすれば、描き甲斐があるはず。
けれど本当に怖いのは、死という絶対的な別離より、不意を突かれるように死の予感を感じてしまったときなんですよね。僕がそうだったという話に過ぎませんが、だからこそ実世界でも体験しかねないその場面に注目してしまうのです。あるいは、物語全編の底を流れる理念の伝え方において、極めて重要なポイントになるとも思うし。
ここからはネタバレです。昨日の回で、主人公夫婦の夫が他界しました。死の予感から最期まで1話で済ませたのは呆気なかった。でも、実際の感覚もそんなものかもしれません。それよりも改めて気づかされたのは、何をいまさらと呆れられるでしょうが、真の主人公が妻だったことでした。彼女はおそらく、覚えたくなかった死の予感や、見届けたくなかった最期を乗り越えて、大事な人の生き様を語ろうとするでしょう。その大役を果たすための、あと2回30分……。
その一方で、来週にはまた新しいドラマが始まるんですよね。終わりと始まりを俯瞰し続けるのも、なかなか大変です。嫌なら降りてもかまわないんですけれど。

咲いてるねぇ。
