具体的な事例に触れざるを得なくなりますが、3月末に報じられたベントレーによる玉突き事故。ひき逃げの罪で犯人が再逮捕されたようですが、この件で違和感を覚えたのは、車名ないしはブランド名がニュースのタイトルに使われたことです。
それについて話す前に、お断りを。僕もクルマを運転するので、不運な瞬間が事故に発展する可能性は理解できます。ただ、やはりその場から立ち去ってはならない。なおかつ今回の犯人がクルマの正式な所有者なのか、僕はまだ知りません。それらもろもろをいったん横において先を急ぎます。
ではなぜ事故報道に関して、単に自動車ではなく、わざわざベントレーと伝えなければならなかったのか? それは、「誰もが知る高級車だからでしょ」となりますよね。そこで考えてみたのです。どのあたりから車名ないしはブランド名が報じられるのか。
かつてなら、ドイツのメルセデス・ベンツやBMWはその枠に入ったでしょう。けれど国内でかなり浸透したので、現在なら高級車止まりかもしれません。一方でイタリアのフェラーリやランボルギーニは、いまだやり玉に挙げられそうです。英国発のベントレーもそう。新車で2千万円から5千万円台の価格帯は、報道の背景に潜む特筆点になるのでしょう。
となれば、一般には手の届かない高額なクルマだけが、車名ないしはブランド名が晒されるという図式になるわけですよね。気になるのは、その心理。さもしい魂を抱える僕なりの見解ですが、よく言えば庶民の感覚、逆なら貧乏人のやっかみが、そういう計算を成り立たせるのだと思います。
さらに考えを乗じると、一般的な感覚を超えたクルマを所有する人には、事故を起こすような運転をしない知性と、仮に事故を起こしても正しい判断ができる理性を有していてほしいという期待があるわけです。
これこそやっかみや痩せ我慢に聞こえそうだけど、いくら高くても値段がついている限り、モノだけなら僕でも買えます。しかし、高額・高級な品を上手に使える生活ができる自信はない。要するに身の丈に合わないから、手を出さない。というのは貧乏人らしい正当性の主張ですが、でもごく単純に、乗るはずのクルマに乗せられるのは、僕は極めてカッコ悪いと思うのです。
然るべき振舞いについて話しているつもりです。実際のところ、その基準は様々なんでしょうね。

見慣れてしまうには惜しいほど大胆なデザインだなあと思って。
