実像を伴った想像

ひとつの事象が起きた原因や経緯について、未確認情報と自分の経験値を頼りに、ああだろうか・こうだろうかと想像することはできます。けれど、よりリアルな形でイメージを強固なものにするには、その事象に巻き込まれて具体的な体験を試みるか、あるいは手近な実像を重ね合わせる他にないと思います。
世界中を敵に回しても他国に攻め入る指導者の心情は想像できない。僕がそれだけの権限を持つ立場になったことがなければ、似たような言動の人物がそばにいるわけでもないから。あるいは、攻め込まれた国の指導者が武器を配るからと言って、それを手に携えて戦う自分もイメージできない。そもそも地続きの隣国との関係性がわからない。目に見えない境界線を巡って領土争いを続けてきた歴史に実体験がないから。
しかし、こんなことなら想像が実像に近づいていきます。満員ゆえ酸欠気味の電車やバスを長時間乗り継いで、さらに何十キロも歩いてようやくたどり着ける避難場所に87歳の母親を送り出せるかと言えば、自分が武器を持って戦う以上の勇気が必要になるのではないか。しかも18歳から60歳までの男性は国外退去が許されないとなれば、たとえば20歳前の姪に委ねるしかないのか。祖母思いの子ではあるけれど、自分も苦しい非難移動の最中にはふと老婆が疎ましくなり、そんな思いを抱いた自分を責めるのではないか。老婆のほうも自分の存在を激しく責め、ここにいなければと自暴自棄になったりはしないか。
そんなふうに実像を伴った想像は、果てしなく悲劇的な深みにはまっていきます。なおかつ事象の現場から遠く離れた場所にいるのに胸が苦しくなります。それだけで事の是非と有無が判断できるのではないかと思います。

振り返れば3週間前は、これから戦争しようとする隣国にかなり近い場所にいたんだな。

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