生物として退化したような

久しぶりにオートバイのお仕事でした。僕に与えていただけるオートバイのお仕事とは、基本的に「指定された車種に乗って何か書け」となります。この類は本来、モータージャーナリストと呼ばれる方々に発注されるのが一般的だと思いますが、フリーランスになってから二輪専門誌に携わっていた時期があったせいか、まかり間違う形で僕なんかにもお声がけがあったりします。20歳のときにただの趣味で取得した二輪免許が今日まで生きるなんて、国家資格って何とありがたいものでしょうか。
さておき、最近はお仕事でしかオートバイに乗らなくなってしまいました。だから久しぶりとなるわけですが、クルマの運転以上に身体感覚が必要な乗り物なので、久しぶりとなると緊張感より実質的な緊張が伴います。けれど、それを露わにすると取材チームを不安にさせるのでひた隠しにするんですね。それがいいことなのか悪いことなのかよくわからないけれど、まぁ見栄ってやつです。
ぐだぐだ言っていますが、公道を走る程度であれば普通に乗れてしまうんですね。他人への自慢じゃないんですよ。昔取った杵柄的に、かつて毎日のように乗っていた自分の経験値に対する感心なのです。これも自慢に聞こえるのかな。いやでも、体に染みついているものって、頭をひねって思い出せる記憶を越えていますね。ありがたいことです。
一方で、損なわれていく感覚もあります。天候の読み方。オートバイは体を外気に晒しますから、1日の天気や温度に対して自然と敏感になっていきます。昔は天気予報を細かくチェックしなくても、いつ頃雨が降り出すかわかりました。これは本当に。
ところが乗らなくなると、自分の感覚より誰かが伝えてくれる情報に頼りがちになる。今は天気予報の精度が高いけれど、それでも今日はどこでどれくらい乗るかという個別の条件に向けた準備は、やはり自分の感覚を生かすべきです。
それがわかっていながら先日は、予想気温に対する乗車感覚を読み違えてひどく凍えたのでした。このへんはしょっちゅう乗っていないと、どんどん鈍るみたいです。生物として退化したような気持ちになって、なかなかに残念でした。桜が満開になっても寒い日はいくらでもあったんだよな。

今のオートバイってよくできているから、身体感覚云々言わずとも乗れちゃうみたい。

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