誕生日について思うのは

仲間内の夫婦に子供が産まれました。ずいぶん前に聞いた出産予定日が僕の誕生日付近だったこともあり、そろそろだろうと気にしていたのですが、この時代はやっぱりなかなかです。産んだ当日の午後には夫と妻と僕の3人のLINEグループで報告があり、妻とも対話ができるってのは、ねぇ。いずれにしても、母子ともに無事という報せにホッとした次第です。
母になって半日も経っていない妻は、こんなメッセージをくれました。
「今はもうボロボロ」
その疲労感がどれほどのものか、僕にはまるでわかりません。彼女よりうんと長く生きていながら、僕にそんな体験がないから。辛うじて想像できるのは、自分の母親も僕を産んだ直後はそうだったかもしれない、ということくらいでしょうか。
そんなこんなで歳を重ねるたび、誕生日について思うのは親のことになっていきます。もはや90歳という大台が見え始めている母親ですが、たぶん僕を産んだ日のことは今でも覚えているんじゃないかと思います。片や産まれた息子のほうは何も記憶していませんから、親側が持ち得ている実像と、子供側は抱く他にない想像との間には、生涯に渡って一致しないギャップが生じるのでしょう。それを埋めようとする意識が絆と呼ぶものになるのかもしれません。さて、どうでしょう。
もし17日に産まれたら、十七男Jrを贈呈してもいいと思っていましたが、女の子でした。さすがに十七子は薦めないとLINEしたら、父親になって数時間の夫は同意のメッセージを寄越しました。にべもないヤツです。

利用後は使用者がグラウンドを均す。素敵な作法だと思います。

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