世界最大のお墓と聞いてまず思い浮かぶのは、エジプトのピラミッド。クフ王のものは高さが146メートルもあるそうな。ところが長さになると、大阪の仁徳天皇陵古墳が世界一。クフ王のピラミッド230メートルに対して486メートル。なんとまぁデカいこと。それが生前の存在感の象徴であれ、埋葬された当人はそれを見ることはできなかったんですよね。
歴史に名を残す権力者も、あるいは名もなき一般市民も、先述の通り自分が埋葬されたあとの様子や、または葬儀を確認できないのは同じです。亡くなる前にお墓を決めておくとか、あるいは生前葬というのもありますが、そこに当人が立ち会ったとして、本番はあくまで想定する他にないですよね。
話は少し逸れますが、父親のときに人生で初の喪主を務めました。これがなかなかに興味深かったです。今でもよく覚えているのは、何十年振りに会った叔父の行動でした。いくつか頂いたお花の送り主の名前、というよりたぶん肩書をチェックして、叔父はテキパキと「これはあっち。それはこっち」と並び順を指示していました。叔父は、彼にとっての兄の晩年の交友関係を知らないはずですが、こいうのが親戚あるあるなんだと悟って、すべてお任せしました。
その叔父が戸惑ったのが、誰でも知っている有名企業からのお花でした。社名は伏せますが、自動車関連です。確か3社。それは、いわゆる僕の仕事関係でした。こういうときにこんな心配りをしてくださるんだと、それも社会の常識を知った思い出深いエピソードのひとつです。で、叔父はどうしたんだっけ? わかりやすいところに置いたのかな。
けれど、やはり父親はそのお花を見ることはできないんですよね。こんなこと言ったら罰が当たりますが、葬儀の場で箔がつくようなお花をもらえるようになった愚息の姿も確かめられません。
となると葬儀は、人を亡くした後でも現世を生きていく者のために行うものなのだと。そしてまた喪主は、故人という尊重すべき存在に寄せられる弔意の拠り所として葬儀を開くのだと、そのとき初めて実感したのです。総じて、いい経験でした。
国葬が話題になっていますね。最近の世論調査では評価しないという声が半数もあるそうです。僕は、弔意の寄る辺を国民に正しく説明できない喪主に責任があると思うのですが、どうでしょう。

なぜか気になり続けているサルスベリの花。長く咲くもんだなあって感心してます。
