今日は種田山頭火の命日。本名は正一。「ラーメン屋?」と聞かれそうですが、俳人です。そして、僕が言うのもおこがましいけれど、極端なまでに生きるのが下手な人でした。
1882年(明治15年)12月3日、現在の山口県防府市生まれ。生家は土地持ちながら、父は金遣いが荒く女好き。それを苦にした母が山頭火10歳の年に自宅の井戸で投身自殺。それ以来、彼のそばには常に絶望が寄り添いました。
中学に入ると文学に目覚め、15歳で俳句を始めます。その後、早稲田大学に進むも神経衰弱で退学。故郷に戻って父と興した酒造業は10年で破綻。父は行方不明となり、弟は自殺。すでに結婚し子供もいた34歳の山頭火は、友人のつてで熊本に移り住みます。
そこで古書店、さらには額縁屋を開業するも、おそらく心身の弱さがたたり、妻子を残して東京へ。運悪くそのタイミングで関東大震災に遭遇。這う這うの体で熊本に舞い戻ったのですが、路面電車を止める騒動を起こし、偶然居合わせた知り合いの記者に助けられ、市内の禅寺に預けられます。
そのまま僧侶となり、托鉢と言えば聞こえのいい、ほぼ乞食の行乞に出始めたのが43歳のとき。あちこち歩き回りながら煩悩を払うのが目的だったのに、元来の酒好きが災いして(路面電車を止めたのも泥酔が原因)、何かいただけば酒に代える日々となります。
それから15年。58歳になる直前の1940年(昭和15年)10月11日まで生きた歳月は、味方によっては死に場所を探す旅だったのかもしれません。庵と称する居場所を設けても長居できず、50歳になって自殺未遂も起こしていますから。ただ、心に空いた穴を塞ぐように大酒を食らう自分に呆れながら、最後まで生きたかったんじゃないかと思うんですね。なぜなら、行乞の最中にひたすら俳句をしたためたから。それは、俳句でなければ表現できなかった存在証明または自己肯定だったはずです。
その季語の用意も五七五の定型も無視した、徹底的に己を見つめた自由律俳句が痛いくらいに胸に刺さるのです。僕を貫いたのは、この句でした。
『どうしようもないわたしが歩いてゐる』
きっと山頭火の句は、人生について考えたときに触れると、すっと近寄って来るのだと思います。僕がそうでした。この句の解釈はそれぞれですが、作者の真意をたどるならその生涯を知ったほうが近道と思い、長めに山頭火の経歴を紹介しました。
何かの折、山頭火の作品に目を通していただければと。何となく、女性には刺さらない気がしますが。ちなみに、少し前の本棚整理でも、山頭火の句集は手放せませんでした。

ふと見上げた空が「いいなあ」と思えるようになった今日この頃。
