16日の夕方、原稿書きの合間でふとスイッチを入れたテレビを見て、「あ!」と声が出てしまいました。谷村新司さんの逝去の報せです。
亡くなったのは8日。今年の3月に急性腸炎の手術を受けていたこと。それに伴い年内は治療に専念するため、谷村新司さんが属する『アリス』を含めた全活動が休止になっていたこと。それから谷村新司さんが発表したいくつものヒット曲が紹介されるのを呆然としながら眺めていました。我に返ったのは、次の次のニュースに切り替わったくらいでした。
こうした訃報には、世代間で温度差が生じると思います。おそらく今の10代は、谷村新司さんや『アリス』を聴かないでしょう。けれど最近は、あって当然のSNSや、あるいは音楽好きの親の影響を受けて、過去の楽曲に興味を持つ若者も多いらしく、それなりに耳にしている人がいるかもしれません。
そんなふうにして、すでにこの世にいない人たちの音楽を新鮮なものとして聴けることは、僕ら世代には経験できなかった、とても素晴らしいことだと思います。でも、きっと同世代感は薄いんじゃないでしょうか。今日の文脈に添えば、同じ時代を生きた少し年上の音楽家が逝ってしまうたびに打ちのめされる喪失感には、まだ共感できる要素を持ち得ていないということです。
誰かを失う日が増えていく予感は、自分が歳を重ねるたびに膨らんでいきます。それは、実際の報せを受けるたび実感に変わっていきます。不吉な言霊にしたくないので実名は避けますが、10代の頃に聴きまくった音楽家の方たちも、やがて彼岸を渡ってしまうのかなあと、そんなことを考えるたび悲しい気持ちになります。
谷村新司さんや『アリス』の楽曲は、僕が15歳くらいでギターを弾き始めたときに漁った、初心者向け教則本に数多く掲載されていたんですね。比較的シンプルなコード進行が幸いして、下手くそなりに最後まで弾けるようになった曲も多かった。だから、当時全盛の音楽番組やラジオやレコードを聴くだけより、いくらか立体的な記憶として残っています。
寿命や運命というものがあるなら仕方ないけれど、果てしなく切ないです。とにかく、突然の訃報に触れて飛び出した声の大きさには、自分自身がいちばん驚きました。

ランニングコース途中の材木屋跡地。専門家なら、この躯体だけで何が建つかわかるのかな。
