その上でインしたくなる日

今も流行というものがあるはずですが、僕が10~20代を過ごした1970~1980年代にくらべると、かなり緩くなっていると思っています。現代の若い人には想像できないでしょうが、あの時代はテレビや雑誌に支配的な影響力があり、そこで「今年はコレ!」なとど紹介されれば誰も無視できなかった。そうして背中を突かれるようにして「コレ!」やその類似を漁りまくったものです。
逆説的には楽な時代でした。自分たちの知らないところで掻き立てられる「コレ!」に飲まれればよかったし、ちょっと待っていれば新たな「コレ!」が登場したから。そういうのは、僕も微かに恩恵を受けたバブルとともに弾けましたが。
けれど流行というのは繰り返すというじゃないですか。どんな周期で過去の再現が実施されるのかまるでわからないけれど、ここに来て若い人がTシャツをインしてるでしょ。それを目の当たりにすると、うわっとのけ反りそうになります。
僕もたぶん20歳くらいまではインでした。そう着こなすものだと信じて疑わなかったから。しかしあるタイミングで突然ダサいことになった。「そうなの?」と周囲を見渡して、確かな変化を実感してから裾を出したんですよね。あの頃もっとも恐ろしいのが「ダサい」だったから、そうして僕ら世代は多くの流行に「ダサい」の烙印を押して卒業してきました。もはや決して戻ることのない日々として。
なのに、インですよ。僕にはできないな。繰り返しになるけれど、一度卒業した学校に再入学するなんてあり得ないですから。ただ、若い人の感性によるインは、ダサく見えないから不思議。となれば古い流行の再現や再燃などではなく、あるいは「ダサい」という概念自体が消失しているのかもしれない。どうなんだろう。
いずれにしても、若い人のようにはできなくなることが増えているのでしょう。一方で流行が緩くなっているなら、僕は僕なりの在り様を考えればいいわけで、それは流行の壮絶な縛りがあった時代とは別の楽さがあるように感じています。その上でインしたくなる日が来るのだろうか。わからないな。

軒先のたわわ。この黒い果実は何?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA