二日連続で暦に関する話題を。今日は太陽暦採用記念日。明治五年十一月九日、時の政府がそれまでの太陰太陽暦から太陽暦に改めることを布告したのが由来だそうな。「151年も前だし、他の暦を使う予定もないから、まぁいいか」ではあるけれど、それじゃ身も蓋もないので続けます。
それまでの太陰太陽暦は、太陰暦と太陽暦のハイブリッドだったようです。太陰暦は月の運航を基準とし、1カ月は29日から30日。よって1年は約354日。これを使い続けていくと、16年後から17年後には正月が夏に当たるというズレが生じるらしいんですね。
そこで太陽暦のいいところを採用しました。太陽の運行を基に1年365日とした太陽暦には、4年に一度の閏年があります。それが実際の1年365.2425日の小数点以下を暦の上で調整するのに便利だったから。その閏の考え方を加えた太陰太陽暦では、19年に7回の割合で閏月を設け、1年を13カ月にしたんだそうです。すると閏月に生まれた人は滅多に誕生日がやってこないことになるな。
さておき、明治政府が暦を変えたのは、交流が深まっていく西洋諸国とのギャップを一新したかったから。それは表向きの理由という説もあります。文明開化に伴う改革で深刻な資金難に陥っていた政府が、他国より1カ月多い官公吏(今の国家/地方公務員)の給料を節約する狙いがあったとか。何しろ翌明治六年には閏月があったので、この説の信ぴょう性が高いそうです。
暦を変えられた庶民の大変さも想像に難くありません。まず、政府は明治五年十一月九日に改暦を布告し、同年十二月二日を太陰太陽暦最後の日に定めました。その日は新しい暦の1872年12月31日。翌日から新年となるので、素早い改暦には絶好のタイミングと考えたのかもしれません。
ただし国民は、あったはずの明治五年十二月三日から三十日までの28日間を奪われる形になりました。書き入れ時の年末恒例催事ができないし、刷り上がっていた翌年の暦は山のような返品になるしで大ブーイングが起きたとか。ブーイングなんて言葉は浸透してなかったか。
この話題にどんなオチをつけるか考えてみたのだけれど、いいアイデアが浮かびません。「政府の強引な決定には正しく反対しよう」かな。あるいは「困難や厄介を乗り越えて新しい暦に慣れてくれた明治の人々に令和から感謝を述べよう」なのかな。今も19年に7回の閏月があったら、なかなかややこしいですもんね。

ガソリンスタンド解体作業に進展。2本目のタンクを地中から回収。まだ1本あるみたい。
