酒蔵は何度かあるけれど、酒屋さんの取材は珍しいので、その記念に酒について触れます。
今回うかがった酒屋さんには、角打ちが楽しめる場所が用意されていました。そう言えば角打ちって何? ということで調べてみました。例によって起源は諸説ありますが、有力なのは、四角い升の角に直接口を当てて飲んだのが由来という説らしいですよ。
かつて清酒は、酒店の樽から升に移して量り売りをしていた。その升に移した酒をその場で飲みたいという者が現れた。試飲の意味合いがあったのかもしれませんが、よく考えてみると卑しくもありますよね。家に帰ってからゆっくりと、計量器具ではない器で飲めばいいじゃないかと。
まあまあ、起源がどうあれ現在の角打ちは粋な行為に分類されているでしょうから、変に揶揄したら各方面から無粋と叱られそうです。でも、升から直接飲みたくなるのも、その行為に角打ちという立派そうな名称を与えるのも、酒の怖いところだなあと思ったりもします。
酒に弱い。これが僕の自己認識です。飲み屋の仲間たちにそう言えば「うそぉ」と返されますが、この認識があるからこそ今もって酒に溺れずにすんでいるのかもしれません。
父親は黙って晩酌する人でした。毎晩そこそこの量の日本酒を飲んでいたので、長男の自分もそこそこいけると思っていました。ところが父子で直に遺伝しなかったのか、20代の頃は見栄と勢いに任せて飲んでは酷い思いをする情けなさを何度も繰り返したのです。顔がすぐ赤くなるのも嫌だったな。
今となっては、その当時の屈辱があったからこそ。あるいは若い自分に呆れを覚えられるほど歳を重ねたからこそ、酒が楽しめるようになったと思うのです。結局のところ、酒が美味しいと感じられるのは、誰かといっしょのときなんですよね。あれこれ話を聞いて喋って、「またね」と気持ちよく明日を迎えるために飲むのが最良で、そんな状況を醸してくれる酒は、ある種の魔法の道具なのかもしれません。
その魔法に心地よくかかる上で、酒が弱い認識は大いに効果を発揮します。最良の気分を存分に味わえるから。以上は、あくまで僕と酒の関係です。「酩酊するまで飲む勇気がない意気地なし」と言われたら返す言葉もないけれど。
取材先の角打ちですが、仕事中なので控えました。近いうちに再訪したいけれど、一人でも行きたいと涎を垂らすほどの酒好きでもない気がします。

そりゃ酒屋に行けば1本くらい買っちゃいます。パッケージもクールだしね。
