得体の知れない大勢より正体が信じられる一人に

『もうひとつの箱根駅伝』というテレビ番組を見ました。こうしたドキュメンタリーに触れて巡らせる思いは、およそいつも同じです。それは、番組で取り上げられなかった選手にも個々の物語が必ずあるということ。けれど80分に満たない番組でそのすべてをフォローすることはまずできません。ゆえにほとんどの物語は、番組を通した世間に知られないまま、各個人の中に仕舞われていきます。
勝手に心配するのは、優勝や区間賞に遠く及ばなかった多くの選手たちが、自分の物語には取り上げてもらえる価値はないというレッテルを貼りつけてしまうことです。そんなことはしないでいただきたい。箱根駅伝という歴史ある有名な大会に出たいと願い、そのために多くの犠牲と努力を払ってきた人の物語に価値がないはずはないから。ただ、詳しく聞いて世間に発表してくれる誰かがいないだけ。できれば僕がその役目を引き受けたいくらいです。
翻って多くの人は、「向こうから聞き耳を立ててくるようなトピックスが少ない人生を生きている」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。けれどそれもおそらくは、聞いてくれる誰かがいないか、または聞かせてもいい誰かが見つからないだけかもしれません
たとえば、「私の話はおもしろくない」と言われたとして、なぜおもしろくないのか問うていけば、その人の考え方の経路が見えてくる。あるいは、その途中で貴重な鉱脈みたいな、話している本人すらその価値に気づけなかったトピックが発見できることだってある。職業的に人の話を聞く機会が多い僕は、そんな場面によく出くわします。
何というか、早計におもしろくないと決めつけるのではなく、いかにおもしろくするかを諦めないことが大事なんだと思います。そのために努力しても、世間ってやつが振り向いてくれるかどうかはわかりません。けれど得体の知れない大勢より、正体が信じられる一人に話を聞いてもらうほうが安心できませんか。リアクションだって的確だろうし。僕はそういう聞き手になりたい。
再び翻って、成人の日を迎える若者の皆さん、若いながらも自分の物語を諦めなかった話をいつか聞かせてください。人に教えてもらった話ですが、苦難は誰の眼前にも立ちはだかるけれど、その乗り越え方、または回避の手段によって、個々の人生の強度が変わってくるそうですよ。骨太な物語、大好物です。

この冬は、健気に咲く花とよく出会ってしまう。

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