先日、弟が誕生日を迎えました。生まれた年は2年違うけれど、彼は早生まれなので学年はひとつ違い。でもって辰年の年男で還暦。無事に歳を重ねれば一定の節目に到達するのは当然ですが、弟も60歳とか、兄弟合わせて120歳オーバーとか、何だかとても奇妙に感じます。
そんな「アイツもそうなるんだ」的な感覚は年長者だけのものでしょうか。年少者にすれば、ひとまず年齢的な事柄は年長が先に経験するから、「あんなに適当なヤツでも還暦になれるんだ」という安心材料の見本になるのかもしれません。
まぁ、愚兄ですけれど、弟のことは尊敬しています。会社員となって妻と子供を持ち、母親のそばで居を構えた、僕にとってはもっともまっとうな社会人のお手本なのです。顔も背格好も似ているけれど、中身というか性格が違うんですよね。本当に、ちゃんとしている。
ちゃんとしているからこそ避けられないのが、定年みたいです。しっかり働いてきたようなので、新たな役職に就いて5年先まで勤められることが昨年の春に決まりました(僕が知ったのは夏だったけれど)。ただし職場は遠くなった。なおかつ昔から早出が得意なので、誰よりも先に出社して鍵を開けるそうな。
「今はやれとは言えないんだよ」
これは僕が言った「鍵なんて若いヤツに任せればいいじゃん」に応じた弟の返答です。呆れたように見えたのは、まっとうじゃない社会人の兄に対してか、あるいはご時世に向けてか。どっちも正解な気がしたので、言葉を継ぎませんでした。
そこで年長者は思うわけです。「弟も大変なんだ」と。けれど「も」じゃないんだろうね。「が」かもしれないなあ。還暦を迎えた弟の真意を探ろうとはしませんが、この先互いにどんどん老けていっても、兄弟ならではの距離感は変わらないと確信した正月でした。

「廃棄される椅子を探すのは、最後に座る者になりたいから」。そう言ったのは誰だっけ?
