そろそろ書けよ

「そろそろ小説を書けよ」
少し前に会った、年上の方に言われました。撮影のみで勝負し続けてきた野武士みたいな、ぶっきら棒が顔に出ている昔気質のフォトグラファーです。そういう先輩、僕は大好きです。「お前の文章、優しいからな」と、どこでどう読んでくれたかはわからないけれど、強面のわりに気遣い豊かだから。
冒頭のセリフは、親身なアドバイスなのか、ただの思い付きなのか。ただ、言わんとするところはわかります。けっこうなキャリアを積んできたのだから、「そろそろ」自分の作品を世に出せと。そのわかりやすい例として「小説」を挙げたのでしょう。
似たようなことは、時に質問形式で投げかけられます。「小説は書かないのですか?」と。それがライター稼業向け特有の疑問だと了解してはいます。しかし同時に世間一般では、小説家以外に文章書きを生業にする道などなく、あるいは依頼を受けて種々の文章を書くにせよ、最上位は小説の執筆と決めつけられているんだろうなあと思ったりもします。仕方ありません。小説家は文筆業としての知名度が高く、一方でライターは正体不明でインチキ臭い印象が拭えませんから。
実在のライターである僕が常々実感しているのは、小説が文章の最高峰だとしても、自分にはできない領域だということです。まず、毎回違う物語を想像する力がない。そして何より、自ら書きたい事柄を見つけ出す才能もない。一方で、人の話を聞く取材ありきの原稿を書くのが好きだった。
あるいは負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、それはある種のタイプ分けです。自分の得意を早い時点で見極められたのが、僕が今でもライターを続けていられる理由なのだと思います。
そのあたりは大好きな先輩にざっくり説明しました。返ってきたのは「は~ん」という答え。煮え切らない後輩だと呆れたんだろうな。いやでも、おっしゃっていただいた言葉は刺さったんですよ。名を残す仕事をしろよと。お前もいつまでも若くないんだからと。そういうご指導と受け止めました。
そうなんですよね、書き手としての集大成的な何かをつくるべきなのかもしれません。それは小説ではないだろうけれど、いつか自分で見つけて、どこかで先輩の目に触れることができたらいいなと、今はそんなふうに思っています。煮え切るまで、もう少し待ってください。

半タワー、ってひねりのない表現だな@赤羽橋。

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