重ね正月

かつての2月1日は、なかなか都合のいい勘定をする日だったそうです。以前のこの国は、1月1日に誰もがひとつ歳を取る数え年の考えが浸透していました。その数え年で厄年に当たると、元日から怯えて過ごさなければならない。しかも厄年は前厄・本厄・後厄と3年も続くので、そんな不安はさっさとやり過ごしたい。そこで、厄年を迎えた人には2度目の元日を与えたのです。
それが重ね正月。または一夜正月。この日を迎えることで、年明けからわずか1カ月ながらさらにひとつ歳を重ね、厄年の進行を早めました。早めた分の調整をいつ行うかは現時点で不明ですが、何もしないのであれば、やはり場当たり的な危機回避と言わざるを得ません。ですが、そうしなければいられないほど厄年はおっかないものだったのでしょう。
そんな初めて聞く古い風習に遭遇して、「お?」となったことがありました。男性の生涯に用意されている厄年は25歳、42歳、61歳……。61歳ってついこの間? 42歳ですべて終わるものだと思っていたので、ちょっと驚きました。ちょっとなのは、僕は今年、数えで63歳になるので、後厄からも解放された安堵があるからです。
ちなみに女性の厄年は、19歳、33歳、37歳。61歳も含む文献がありました。そういう曖昧さもまたこの国っぽいのだけど、重ね正月の風習は忘れ去られた一方で厄年のお祓いは今も残っており、ある種の戒めとしてはいまだ効力を保ち続けているのでしょう。
とは言え僕のように、数えの61歳が厄年と気づかなければ意味をなしません。ならばそんなの関係ねぇと笑い飛ばそうとして、やめました。たった1カ月で年を取ってまで厄年をやり過ごしたい昔の人々は、生きることに必死だったと思い直したからです。医療体制や食料供給といった社会システムだけでなく、あらゆる災害の対策や研究も今と比較できないほど脆弱だったわけです。ゆえに平均寿命もうんと短かった。約70年前の日本だと、男性は63.60歳。女性が67.75歳。今の僕なんか棺桶に半身が落ちているような年齢なんですよね。なおかつそこに厄年まであったら、何としてもやり過ごしたかったはず。だからやはり、僕はいい時代を生きているなあと。
それでも自然には翻弄されます。能登の地震から1カ月。古い風習でやり過ごすことはできませんが、被災された方々が1日も早く穏やかな暮らしに戻れることを心から祈るばかりです。

駅近の福山城。なのに今回も登城できず。

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